陋習
88 の例文
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巴里のように48 | 23とすれば、まだしも少しわかりよいのに、何でもかでも三桁おきにコンマを附けなければならぬ、というのは、これはすでに一つの囚れであります。老博士はこのようなすべての陋習を打破しようと、努めているのであります。
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拍子木の打方を教うるが如きはその後のことである。わたしはこれを陋習となして嘲った事もあったが、今にして思えばこれ当然の順序というべきである。観世捻をよる事を知らざれば紙を綴ずることができない。
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同年、27歳で出仕し、孫鄰の後任として豫章太守となった。陋習を廃止し、優秀な人材は身分を問わず抜擢するなど、優れた治績を挙げた。優れた人物眼を持ち、丁諝・張秉・吾粲・殷礼を見出して孫権に推挙した。
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蛇について書くことなんか何もありはしない。大体十二支なんてものは旧来の陋習だと信じている位である。ただ迷信に傾かない限り、生活の潤いの一助にはなる。
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そうでなければ夫婦の間にはもめごとが絶えず、たいていは不幸な結果をまねきます。ところで、わたくしの国にはまだまだ陋習がはびこっております。これからお話しするのはとりわけひどいものです。
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一切合切を前例に守っていたら、人間はいまだに、人間の肉を食って、生活しなければならないんだ。まだ人間が人間の肉を食っているんだが、それがなくなるためには、あらゆる旧来の陋習が破らるべきなんだ。
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だがここに特に注意しなければならないのは、とかく頑固な保守主義者がこれらの諸章を浅薄に解釈して、モンテーニュを自分の仲間ででもあるかのように誤り信ずることである。だが彼は一方で習慣を、特に陋習を、思いきって真理や理性に照らして批判している。人間が勝手にでっちあげた法令を自然の法則につき合わせているばかりでなく、各国各時代の思い思いの政治を、全世界に通じる、いわば神の政治と対比することさえもした。
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さて部屋にいた連中は、誰一人として神の人に席を譲る者もなく、入口と窓との吹きざらしにアマドルは立たされて、やおら凍りかかった頃おい、殿様と奥方が、十六になる世嗣の姫を後見している、カンデ嬢という殿の妹君にあたる老嬢などと一緒に御臨席になって、下々と離れた上座にお就きになりました。古い仕来りに従ってですが、こうした陋習を当時の貴族たちが墨守めされていたのは、決して褒めた話ではありません。殿はアマドルには目もくれず、隅の末座に就かせるが儘にしました。
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とに角、旧来の陋習を打破せなくては、家庭も国家も治まりませぬ。
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そこで育ったのが久兵衛で、彼に名人芸があるとすれば、これは生得で主人から教えてもらったものではあるまい。それで魚肉を薄く切る陋習が今に残っているものと思う。およそ先入観とは恐ろしいもので、誰であっても、一度身についた先入観は容易に改められないものである。
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「尚商」が浸透するのは容易ではなかった。当時の日本には「官尊民卑の陋習」と呼ばれる悪習があった。この悪習とは、すなわち封建時代における武士と平民の身分制度が明治政府の構成員とその他の人々に推移しただけであり、実業に従事している民間の人々は明治政府の高官に隷属し、自分たちが帰属する「国家」への関心が低かったという。
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それは、たゞ旧いから陋習と云はれるのではなく、新しいものゝなかで生彩を発揮しない涸渇した形骸となつてゐるからである。こんなことは私が指摘するまでもなく、明治以来の新興国民道徳の精神がこれを教へてゐるにも拘はらず、それだけではどうにもならなかつたといふのは、かゝる陋習さへも必要とされる生活自体の形成の欠陥を誰も補足しようとしないからである。政治の責任がこゝにないであらうか。
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当時、深い草叢の中にあるものまでが時節の到来を感じ、よりよい世の中を約束するような新しい政治を待ち受けた。従来の陋習を破って天地の公道に基づくべしと仰せ出された御誓文の深さは、どれほどの希望を多くの民に抱かせたことか。
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これを怠ったためにずいぶんと無理難題を吹っかけられ、挙句、かんにんなり兼ね刃傷沙汰に及んだため、とうとう役目がつとまらず、割腹して詫びた新参者がいたと。聞いてその陋習の甚だしいのに主水正は唖然としたが、そう明かにされれば行かざるを得ない。早速、衣服を身につけ改めて染野の案内でおいらん東雲の部屋の前へ出向き、廊下に正坐し権太夫の起き出て来るのを待った。
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無知な努力に至っては、曾ての軍の仕事に似通うもので労して効はない。人間の生涯には間々行詰りが生じ、どう仕様もない境地に立ち至ることあるは大なり小なり各人の体験する所であるが、それは何かに捉われた人生であり、陋習であったはずである。誤った先入主に捉われていては前進の可能性はない。
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この点、山禽、野獣に学んでよいようである。われわれはここらで、そろそろ長年の陋習とはさようならして、家畜扱いから離れていいのではないか。繰り返しいうようだが、平凡生活は平凡児を生む。
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わが国古来の風習も、その守られ方の如何によつて、時代にそぐはぬものとなり、われわれの生活の誇るべき表示とはならぬものが少くない。それは、たゞ旧いから陋習と云はれるのではなく、新しいものゝなかで生彩を発揮しない涸渇した形骸となつてゐるからである。こんなことは私が指摘するまでもなく、明治以来の新興国民道徳の精神がこれを教へてゐるにも拘はらず、それだけではどうにもならなかつたといふのは、かゝる陋習さへも必要とされる生活自体の形成の欠陥を誰も補足しようとしないからである。
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国体の精華すなわち国粋の保存を説くといっても敢えてみだりに自己を過大評価しない。旧来の陋習に恋々とすべきでなく、国家の文明富強を進め皇基を振起すべきため智識を世界に求める。ただし西洋の開化を学ぶのは、開化そのものが目的ではなく建国の精神を発揮するための方便である。
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第十四条 社会共存の道は、人々自から権利を護り幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重して、苟も之を犯すことなく、以て自他の独立自尊を傷けざるに在り。第十五条 怨を構へ仇を報ずるは、野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには、須らく公明の手段を択むべし。
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この活歴の全盛時代は、明治十三四年から二十三四年まででしたが、その間に明治十九年の欧化主義の絶頂期には、末松謙澄を主唱者として、演劇改良会が組織され、伊藤博文、井上馨を始め、朝野の名士が発起人或いは賛成員として名を連ねたので、社会的に大きな反響を巻き起しました。趣旨とするところは、従来の演劇の陋習を改良すること、脚本の著作を栄誉ある業とすること、構造完全な劇場をつくること、などの三つで、要するに欧米風の劇場と演劇をつくりだすのが目的でした。しかし改良会の実際の事業はほとんど見るべきものはなく、間もなく消滅しましたが、この我国の社会でも芸術の位置を改良によって高めようとする機運は、たんに演劇だけでなく、明治芸術の諸部門の勃興に大きな力として働いたので、逍遙の小説革新はこの大きな時代の波に乗り、それに内容を与えたものと云えます。
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それなのに今日になっても陋習から脱しきれず、彼等に利害をゆだね、彼等の僕視に甘んじている。
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明治の初年頃には随分思いきった政治論も社会改良論も行われた。さすがに知識を世界に求むるという御旨意の発表された際であっただけに、外国の思想を危険なりなどという者なく、上下共にこれを歓迎し、旧来の陋習を打破するに更に躊躇しなかった、その頃盛に行われた標語は自由民権であった。殊に自由なる言葉は当時の人々には耳新しく聞えた、従来日本の通用語ではあったが、政治的意味を加味したのは恐らく明治になってからであろう。
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吾丘衍の著した『学古編』は中国最初の篆刻理論書として篆刻芸術の在り方を示した。その著で尚古主義を唱え、漢銅印への復古を説いて九畳篆の陋習を打破した。明の何震『続学古編』、清の桂馥『続三十五挙』・『再続三十五挙』、黄子高・呉咨『続三十五挙』、姚晏『再続三十五挙』など、長期に亙ってその理論が信奉され発展した。
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旧来の陋習を破ったらどうだというんだ。一切合切を前例に守っていたら、人間はいまだに、人間の肉を食って、生活しなければならないんだ。
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しかし、仮にも、わが夫と定めた者の遺族に、夫の死も報らせず、法事を営んだ形跡もないというのはどういう理由によるものか。よしんば、萌子に、陋習をわずらわしいものと思う主義があったとしても、彼女の両親や兄弟はまったく干渉しなかったのだろうか。そこに考え及んだ時、浅見は、萌子に会えないのなら、彼女の肉親に会ってみよう、という発想が湧いた。
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また吾丘衍の「三十五挙」は最初に著された篆刻理論書として後進に尊重された。彼らは上古の正しい印法への復古を説いて、唐代から継承される九畳篆の陋習を是正した。しかし、趙・吾は自ら印を刻むことはしなかった。
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それは信長が終生求め続けた〝新しい世の中〟である。旧来の陋習を悉く打破・消滅した新しい世、新しい秩序、その具体的な姿は、信長の胸中に秘められたまま消え、今に残っていない。もちろん、信長が上洛戦以後、数々の困難に遭遇するたび、その構想は発展し、変化し、熟成していったであろう。
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これが封建的陋習の最も顕著なものであることに疑ひはないけれども、その封建性を批判する態度のなかに、既に、何ものかを憚り、しかも民衆を威嚇する口吻がなくもないことは、ある限られた精神の構造を遺憾なく示すものである。漢書の教へる「大丈夫」の意気は、わが日本の風土において早くも色褪せたかの感がある。
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