衣鉢
106 の例文
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一八六二年の生れで、ウィンの象牙の塔にリストの衣鉢を伝えている。一部の人には偶像視され、その極めて珍しい演奏会は、超満員の盛況を呈するということだ。
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片手をさしのべ、慈念に「単」へ上ることを告げた。そこは慈念のもってきた衣鉢と文庫のわびしい荷物だけぽつんと置かれてある。慈念は直日に合掌して、静かに席へ上った。
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徒らに茶道を形式に枯死さすのは、私たちのなすべきことではない。彼らの衣鉢の真の継承は、その形式の反復にあるのではなく、その精神の進展にあるのである。近代茶人の無為を私は許すことができぬ。
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それは立世子のことだった。彼は自分の衣鉢をつぐことのできるのは、曹植だと考えていた。だが、曹植を世子に立てれば、曹丕は生涯弟に反抗して軋轢がたえないであろう。
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と同時にかれのまぶたに浮かぶのは、パンツの下からのぞいていた少年の肉感的なまでにたくましい両の太ももだった。悪魔の弟子が師匠の死後、みずから師匠の衣鉢をつがなかったとはだれがいえよう。
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前年には薬物の過量服薬による自殺未遂もあった。彼の衣鉢を継ぐことは誰にもできず、彼の死は古楽の音楽運動への悲劇的な損失であると指摘された。マンロウに教えを受けた音楽家の一人に、現在「ニュー・ロンドン・コンソート」を率いるフィリップ・ピケットがいる。
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それがどうした訳か、あっさりと法を嗣いでしまった。しかしそれで主流派が収まる訳もなく、慧能は衣鉢を嗣いで南へ逃げる訳です。
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それは彼の活躍した十八世紀末から十九世紀初頭には、まだ夜の世界の灯火が石油ランプやろうそくで、薄暗かったから、塗料やつけひげも見破られなかったからで、現代では無理だよ、と江戸川乱歩先生は笑っておられた。大先輩ヴィドック氏の衣鉢をついだルパン物語の楽しき嘘はここにはじまっている。乱歩先生も笑いながら、少年少女のために怪人「二十面相」を創られたのであった。
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父の衣鉢はうけず、勢威だけを受ける気でいた。その眼で、大坂を見る、秀吉を眺める。
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雲峰文悦ならびに黄龍慧南に師事し、黄龍慧南の法を嗣いだ。師の寂した後その衣鉢を継いで黄龍山に住し、元符3年に示寂した。
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弟子よりも先生の方がよっぽど熱心であった。その稽古腰の強いこともたしかに翁の衣鉢を嗣いでいた。
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藍より出でて藍より青し。信長の衣鉢は、まさしく、秀吉によって継がれたものといっていい。秀吉は故主の長を取って短を捨て、独味の行き方と、天質の大を加えて来た。
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彼は先代惣右衛門の出発点を忘れそうな子孫の末を心配しながら死んだ。伏見屋の金兵衛は、この惣右衛門親子の衣鉢を継いだのである。そういう金兵衛もまた持ち前の快活さで、家では造り酒屋のほかに質屋を兼ね、馬も持ち、田も造り、時には米の売買にもたずさわり、美濃の久々里あたりの旗本にまで金を貸した。
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なぜならそれ等の名器は彼等の疎んずる民器に過ぎないからです。民藝の美への正しき認識、このことなくして茶祖の衣鉢を伝えることはできないはずです。あの「大名物」と共に、同じ民衆から生れ、同じ無想から発した美しい器が、数限りなく私達を待っているのです。
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福武直の衣鉢を継いで農村研究を行い、これを地域社会論へと広げ実証研究に成果をあげた。
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沈氏との子である鄧伝密は父の衣鉢を継ぎ書に巧みであった。石如の出現で清代の篆書・隷書が一変したといっても過言ではない。
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清は乾隆帝の時代。嵩山少林寺の僧白道老師は自らの衣鉢を継ぐものをたずねて中国全土を放浪していた。西安に差し掛かったある日、暴れ馬が幼子を蹄に掛けようとしているのに遭遇する。
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できれば哲童が戻りまして後、衣鉢を嗣いでしまいとうございます。その後はどこにでも行きまする。
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彼慨然として答えて曰く、「時宗、秀吉は寔に及び易からず、然れども義律、伯麦、馬里遜は陋夷の小才のみ、何ぞ与に較するに足らんや」と。而してこの山田亦介は、村田清風の甥にして、実にその衣鉢を伝えたる者なり。然りといえどもさらに社会的に観察せんか、彼は時勢の児に外ならず。
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元山に住んでいた義母が死亡し、葬式のため安辺郡に行き、その途中で高山群を見て小共という僧侶に会い、朝鮮語をいまだに覚えていた小共は英世に韓龍雲の「様の沈黙」を朝鮮語で朗読する。小共は間もなく死ぬが、英世は韓龍雲の衣鉢をいつか他の誰かに伝えなければならないという使命感を持つようになる。会社で内地への出張を命じられた英世は京都帝国大学図書館で三国遺事、三国史記などの朝鮮の昔の歴史の本を見つけ、コピーして朝鮮に帰って来るが、その間、日本で起きた政変以降強化されたセキュリティチェックのために金浦空港から入国途中、発覚して警察に逮捕された。
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そこでは蔵主・焼香侍者を務めた。翌年5月に同郷の周信が相模の善福寺に入院しようとしたときには、その衣鉢侍者を務めている。応安元年/正平23年2月には明に渡海し、杭州の中天竺寺に入った。
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法医学の権威といったところですな。ソーンダイク博士の衣鉢をついで、博士のマントを、今度はあなたが着るわけですね?
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従って、世界の探偵小説は「入口のない部屋」から如何にして犯人が逃走し得たかという、この謎を解くために、初めて誕生したのだといっても過言ではあるまい。だからポオの衣鉢をついで諸々の探偵作家が、一度は必ず想いをこの謎を解くために凝らしたのも決して無理ではなかった。ポオの「モルグ街の殺人事件」の場合では、しかし、絶対に入口がなかったわけではなかった。
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彼の作物にはなおも作為の傷が残る。彼の衣鉢を伝えた乾山においてもそうである。彼の人物は彼の焼物より遥かに完備する。
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古野の発言から判るように、栄光ある同盟の衣鉢を継ぐのは、共同通信社であった。対して共同通信社の枠組みから外れた業務、即ち商況・出版を担当する通信社の方は、この時点では正式社名も決まっておらず、「第二通信社」と仮称された。
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そのような感情で、町の人々は、逆上から目ざめたあとでさえ、魔法使いと噂された者たちの記憶をいつまでも思い続けた。マシュー・モール老人の衣鉢のマント、というよりもむしろぼろぼろの外套が、彼の子孫に降り落ちたのだ。彼の子孫たちは何か神秘的な性質を受け継いでいると半ば信じられていたし、モール一家の目は、不思議な力を持っていると噂されていた。
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主人公はオリジナルの人物「アルテウス」で、テセウスの弟と設定されている。実在の神話では成功した冒険にテセウスが失敗したため、兄の衣鉢を継いでアルテウスが旅立つことになる。神話や古代の風習など、システム上のゲーム目的とは直接関係のない背景が詳しく描写されており、奥行きのある格調高い作品に仕上げている。
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彼等の眼には身命の危険を軽んずることは、貴族の天分なのであつた。しかも彼等は封建精神の衣鉢を襲いで、国王を彼等の生れながらの主として尊敬し、国王のためには身命を鴻毛よりも軽しとした。ルイ十六世が処刑されたとき、彼の身代りにならんことを志願した武士の数が少くなかつたことなどもこれを証明してゐる。
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