般若心経
359 の例文
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「識」は右の本では知識と訳されているが、「受想行を意識していること」と解釈しても問題ないであろう。それなら私の説明は、般若心経の用語を用いても十分だったのである。乱暴にいうなら、仏教思想とは「脳から見た世界」である。
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一週間が過ぎて、ようやく体が慣れてきた。昼の五時間般若心経読みの後でも、一人で風呂に入れるようになった。この一週間、朝から晩まで、まさに修行して、食って、寝て、修行して、食って、寝る、だけだった。
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本文の解釈は『般若心経』を五分して展開するが、これを五分総説という。この五分それぞれに付された名称に特異性がある。
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これは中華民国時代の印光大師により浄土主要経典に加えられたと言われている。非常に短いお経であることで、般若心経とならんで有名である。
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明治17年に山縣有朋・井上馨・伊藤博文・山田顕義の主唱により、1550円の募金を集めて東行庵が建立され、梅処に贈られた。般若心経しか知らなかったが、村人に三味線や踊りを教えたという。明治42年、脳溢血で67歳で死去。
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願わくば再びこの地に来り日本仏教とチベット仏教との協同和合に一臂の力を尽し、幸いに世界仏教の基礎となるを得ば誠に愉快の事である。別れに臨んでひとえにこの事を願うという意味で般若心経三巻を読みました。ときに皆が山を降るものですから一緒に降って行きましたが、今度は道を換えてターマルンという村のある方に降りました。
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この日の午前中水木氏は、村から少し離れた林の中のトペトロの墓の前で過ごしている。日本人一行六人を代表して般若心経を唱え、献花をした。その後、村人の讃美歌の合唱と牧師の説教を聞き、墓地の空地で約五十名の参列者全員と食事をとった。
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仏教においては仏教絵画が描かれる。また文盲の庶民のために般若心経を絵で表現した「絵心経」もあった。イスラム教では偶像崇拝に繋がるためアッラーフを描けずムハンマドも布で顔を覆った状態で描かれる。
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宗旨は浄土真宗だったが、禅宗にも興味を持ち、般若心経を信仰した。中年になってからは飲酒を控え、健康的な食生活を心がけていたが、好物の鰻と天麩羅だけは控えなかった。
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フォークソングをルーツとし、仏教的なメッセージをテーマに楽曲制作をしている。また、般若心経を音楽に乗せた仏教的なものもある。
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大チャンはもと坊主で、お経もたくさん暗記していた。私は彼に般若心経を教えられたが、あんまりおぼえないので、彼は三日ほどであきらめてしまった。
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それは般若心経かなにかを書いた残欠本の仮表装でありました。
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曹洞宗では有料で頒布しているほか、曹洞宗寺院では寄進者に授与している。駒澤大学の学生生活ガイドブックに『般若心経』と共に記載されている。
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耐火度が強い土を使い、高さ1mクラスの大型作品は板状の粘土を使ってタタラ作りの技法や手びねりで制作した。代表作は「般若心経」シリーズと「古代幻視」シリーズの作品群である。池田満寿夫美術館の開館に合わせて制作した「土の迷宮」シリーズの作品群や富士山の様々な景色を描いた陶板画もある。
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小田刑事に案内されて、私たちは、藤田老人の寝室なる八畳の座敷に入りました。寝床は最早たたまれてありましたが、机と般若心経とはそのままになっておりました。小田さんは、老婆を呼び、はじめてここへ来て自分の検査した顛末を、いちいち俊夫君に説明しました。
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悪化して腹膜炎を併発し、2月4日、小田原の対潮閣にて死去した。死去直前に教育勅語や般若心経を唱えていたという。
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雅代が事務机に入っていた塩や般若心経のコピーを使ったのはあれが最初で最後だった。しかし三度上げたお経も虚しく、すぐに古参のパートも切らざるを得なくなった。
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昭和十七年に初めて光徳寺へやって来たとき、志功は襖二枚に般若心経の文句を書いた。経典も何も見ずに、白い襖に直接に筆を下ろし、題をふくめて二百七十二字を諳で書き終えたかれは、文字に眼を走らせ、「うん」と自ら頷いて「間違わなかったな」といった。
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俊夫君はただ黙ってうなずきながら、熱心に聞いておりました。やがて、俊夫君は、机のそばに寄り、まずその上の般若心経を手に取って見ました。それは長さ六寸、幅二寸ほどの大きさのもので、老婆に聞いてみると、藤田家の仏壇にあるものだということでした。
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日本人つまり世間の人であれば、 「自分は無宗教だ」 と思っているわけで、それなら、 「自分の考えがまさか仏教だとは思えない」 のが当然であろう。般若心経といえば、ごく一般的なお経である。これを調べてみたら、全文二百六十六字のなかに、「無」という字が二十一あった。
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わしを信じた者たちが、わしの剣を恃みとした者たちが往生したさまを、伝え聞いたわしの気持ちは誰にもわかりはすまい。匿われていた公用人の屋敷の奥座敷での、わしは柄に似合わぬ般若心経を唱えた。わしが斬ったのではなく、わしのせいで死んだ多くの人々のためにな。
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お経やマントラに音楽を乗せた、アジアにおけるニューエイジ仏教音楽の第一人者とされる。日本でも大串利一監督の映画『こころの宇宙 般若心経』などで音楽が使用されている。
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それでも、そろそろ暖かくなる季節だし、「春ですから」の一言で説明終了できようというものさ。いざとなったら朝比奈さんに巫女姿で般若心経唱えてもらえばいい。それでハルヒ的には除霊が完了する。
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だが、徐々に余裕はできてきているらしい。般若心経を唱えている間、頭がグラグラしなくなったし、より経文に集中できるようになってきたみたいだ。「さすが若い男は、力がつくのが早いわ〜」 と、夕飯を食いながら十七歳の秋音ちゃんがオバチャンみたいなことを言った。
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その一角には水琴窟があり、般若心経の代わりに水の音が聞こえるようにしてある。
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それが効果あるものかどうか分からなかったが、抹香を紙に包んだものを枕の下に忍ばせ、徳次郎手には念珠をさせた。縁側に面した付け書院には、般若心経一巻、開いて載せて守り本尊を置いておく。
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帰国後の1983年から陶芸にも没頭した。死の3年前に制作した般若心経シリーズの作品は池田の陶芸作品の中で最高傑作といわれる。般若心経という精神世界を平面ではなく、立体的に造形化した。
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だが、その珍妙さに惹かれ、ついつい視線を送ってしまう。その都度、俺は頬が緩むのを必死で堪え、般若心経の一節に視線を移している。ちゃぶ台の上には、空になった丼が置かれ、未だ甘いタレの香りを残していた。
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