臥薪嘗胆
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勾践はこのときの悔しさを忘れず、部屋に苦い肝を吊るして毎日のようにそれを舐めて呉に対する復讐を誓った。前述の夫差と合わせて臥薪嘗胆という故事の元となった逸話である。越は着々と国力を蓄え、夫差が中原の会盟に出かけたときを狙って呉に攻め込んだ。
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クジチキンは、この何ら動ぜぬユダヤ人を、すぐさま対決すべき相手と見て取った。長年の間培われて来た臥薪嘗胆の対抗意識が頭をもたげて来た。
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次は、臥薪嘗胆する場合の最も重要な液体燃料に関してである。石油の問題は常に和戦決定の核心をなしていた。
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このように中国国内では高い評価を得られなかったが、2007年8月に韓国で開催された『第2回ソウル・ドラマ・アワード2007』で、最優秀長編ドラマ賞と最優秀撮影賞を受賞し、翌9月には同国EBSで放映された。台湾でも同年にCTVが『臥薪嘗胆之英雄美人』のタイトルで放映を行った。当時、プロデューサーの兪勝利は「海外への発行権が1話当たり4万ドルに達した」と語っている。
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長期戦には困難があり、若干の不安があるが、といって、不安ありとして現在のように米国のなすままにさせていたなら、二年後には石油がなくなり、船が動かず、南西太平洋の防備強化、米艦隊の増強、シナ事変未完等を考えると、思い半ばに過ぎるものがある。国内が臥薪嘗胆といっても、長い年月これに堪えられるだろうか。といって、坐して二、三年を過ごせば、三等国になる。
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この会での一番大きな問題は、遼東半島の還附だった。僕は『少年世界』の投書欄にあった臥薪嘗胆論というのをそのまま演説した。みんなはほんとうに涙を流して臥薪嘗胆を誓った。
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その当時は日露の関係も日米の関係もあらしの前のような暗い徴候を現わし出して、国人全体は一種の圧迫を感じ出していた。臥薪嘗胆というような合い言葉がしきりと言論界には説かれていた。しかしそれと同時に日清戦争を相当に遠い過去としてながめうるまでに、その戦役の重い負担から気のゆるんだ人々は、ようやく調整され始めた経済状態の下で、生活の美装という事に傾いていた。
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焉んぞ知らん。この間にあって道庵先生は臥薪嘗胆の思いをして、復讐の苦心をしていたのであります。夜な夜な例の櫓へ上っては、ひそかに天文を考え、地の理を吟味して、再挙の計画が、おさおさ怠りがありませんでした。
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籾糠山はそれまでトンネルの掘削例がなく、ボーリング調査もほとんどうまくいかなかったためまさに「蓋を開けてみるまでわからない」状態で工事が開始された。当初より難工事が予想されていたため、工事入り口部には「臥薪嘗胆」の文字が掲げられた。この難工事の一連は、飛島建設が動画にまとめて公開をしている。
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共産党員は、これまで非常に長い間、蔣に追われ、皆殺しの対象になっていたが、西安事件の時は蔣介石の生殺与奪を握った。しかし張学良は西安事件で蔣介石の日記を読み、彼が対日戦略のために臥薪嘗胆の計を取っていることを知り驚愕する。しかし、蔣介石がここで本心を公言すれば、それは、中国が臥薪嘗胆の計を取っており、ひそかに全面的な抗日の準備をしていると日本に教えるに等しく、その結果、日本の対中強硬派の本格的な中国侵略の開始を早める結果を招くのは明らかであるため、張学良にも教えられていなかった。
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日清戦争後三国干渉があった。「臥薪嘗胆」なるスローガンは、国内大衆の意識を次の戦争へ集中せしめた。そして、十年して日露戦争が始った。
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彼にも足かけ十年臥薪嘗胆の事件がある。それへ一縷の曙光を見出したのだ。
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そうしながら、えんの微笑みが自然と思い出された。誤問を臥薪嘗胆して修業し直せという彼女のもっともな意見に、ようやく己の心が応じようとしているのがわかった。
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臥薪嘗胆は、復讐を成功するために苦労に耐えるという意味を持つ、中国の故事成語である。紀元前5世紀の呉と越の国家間の戦争に由来する。
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彦左衛門は、そう述べている。徳川家が今日の隆昌は、譜代の家士の臥薪嘗胆の成果である。
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高祿を食んでいる外様新参の大名旗本どもを、自分がどれだけ悪んでいるか。徳川家が今日、このように隆昌をきわめているのは、譜代諸士の臥薪嘗胆の結果ではないか。しかるに、幕府は、譜代衆に対して、報いるところのなんという尠さであろうか。
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「臥薪嘗胆」をスクールアイデンティティーとする学舎として知られている。宮城県教育委員会の進学重点校。
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