聖戦完遂
20 の例文
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この前お伺ひした時にお借りしてきた「チボー家の人々」を再読して、とくに一九一四年夏の部分をくり返し読んでみて、ジヤツク・チボーやあなたのお父さまのやうに、生命をかけてまで守らなければならない戦争反対の思想とはいつたい何なのか、といふことをつくづく考へました。私も亦、今、生命をかけて聖戦完遂のために戦つてゐます。同じ時に、お互に生命がけで反対の戦ひをしてゐるといふことはどういふことなのでせうか。
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戦時下の翼賛選挙では、各候補が訴える政策は聖戦完遂、大東亜共栄圏の確立、翼賛議会の確立など、どうしても同じような内容となってしまっていた。そのような中で三木は聖戦完遂など他候補と同様の訴えとともに、選挙区内の問題に対してこれまでいかに熱心に取り組んできたのかを説明し、他の候補との差別化を図った。
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阿南も梅津も、この受諾がスイスをつうじて連合国に伝えられるという政府の処置を黙認した。だが不思議なことに、陸軍首脳は、政府の意思とは別の意を含む通達〈聖戦完遂の大臣告示〉を軍内の全部隊に伝えていた。これは陸軍の国策決定への困惑と未練を示すものであったが、本土決戦派はこれによって勢いづき、憲兵隊は和平を口にする指導者にいっそう威圧をかけはじめた。
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つまり実際には、当時の翼賛議会は無力な行政補助機関と言うよりは、政府・軍部の聖戦完遂政策を推進する協力勢力と言える存在であった。だが、戦況悪化とともに非推薦議員を中心として同会の行動に反旗を翻す議員が続出して、同会の内部の脆さが露呈した。
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彼には、いまや精神論に傾くだけの凡庸な一国民の感覚しかなかったのだ。もしいささかでも冷めた眼があるなら、この戦争の敗北を見ぬくのが容易であるのに、現実を見つめようとはせず、とりとめもなく聖戦完遂を叫ぶだけだった。
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結局は勢力争い、経済的支配のための勢力争いなのですからね。戦争の被害が国民にだけ及んでいる間は、聖戦完遂、一億玉砕を叫んでいても、危険が自分達に迫ってくれば、彼らが拠りどころとしている、皇室とか国家そのものの存亡に関わってくるということになれば、もう戦争を続ける理由はないのです。大泉さん、もうすぐですよ。
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そこで陸軍は航空総監の阿南惟幾を推してきた。四月七日、鈴木貫太郎内閣が成立したが、陸軍の意向をいれ聖戦完遂の声明を発表した。鈴木のために弁護すれば、これは彼自身の本来の考えとは反した。
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明朗会に入会した普通船員には、マスト先端の塗装など危険な職務を押し付けられるといった労組からの嫌がらせもあった。アメリカの強大な工業力を理由に太平洋戦争の開戦には強く反対したが、開戦後は聖戦完遂のためとして、戦時の船舶運航に協力した。会員の相当数は、海軍予備員として日本海軍に召集され、従軍した。
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私には、なおみさんと一緒に手をとりあつてあなたのお父さまの最期を憤り、復讐を誓ふことが出来ません。私は、風邪の身体に鞭打つて、聖戦完遂のための職場に通ひ、増産にはげんでゐるのです。あなたの怒りや悲しみがわかるといひながら、まるで逆のことを、毎日、それが正しいのだと信じて一所懸命やつてゐるのです。
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また、三木が頼りとしたのはやはり得意の弁論であった。戦時下の翼賛選挙では、各候補が訴える政策は聖戦完遂、大東亜共栄圏の確立、翼賛議会の確立など、どうしても同じような内容となってしまっていた。そのような中で三木は聖戦完遂など他候補と同様の訴えとともに、選挙区内の問題に対してこれまでいかに熱心に取り組んできたのかを説明し、他の候補との差別化を図った。
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実情を知った寺内南方軍総司令官と岡村支那派遣軍総司令官は、大臣と総長にあてて戦争継続の強硬意見を具申してきた。寺内の電文の初めには、「皇国真に非常の秋、敢て意見を具申す 惟うに今日の如き情勢は開戦当初より覚悟しある所、今にして聖戦完遂の意志挫折し、敵の提示せる条件に甘んじて之に服せんか、戦力なき後の国体の護持皇土の保衛誰か之を保証せん」とある。寺内の許には、隷下の各方面軍司令官から同じ趣旨の強硬意見がよせられていた。
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政策決定の中枢である軍務課の佐官たちは、御前会議の決定を知っていたが、これまで一木一草に至るまで聖戦を完遂するといっていたのに、ここに至って戦争を終結させると決定すること自体に不満をもった。それゆえ陸軍省、参謀本部の責任者たちが、御前会議での決定を伏せて、さらに聖戦完遂に邁進せよという示達を流したことは、本土決戦派の中堅将校を勢いづけるものだった。
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市区町村では神社・学校・公会堂で奉祝行事を行い、官公衙・学校・工場・船舶・団体でもこのよき日をことほぎ奉った。大東亜戦争下初の明治節にあって、北はアリューシャンから南は南太平洋に至るまで日の丸の御旗がさわやかにひるがえり、大東亜共栄圏内の民草はひとしく明治天皇の御大業をしのび奉るとともに聖戦完遂に新たな決意をかためた。
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このような官製運動は、国家総動員体制下にあった日本の大政翼賛運動の影響を受けている一方、同時に台湾におけるこの運動も、戦時下の日本軍支配下の南方各地にも影響を与えている。たとえば「ジャワ奉公会」は、「皇民」の名は冠しないものの「全島民親和の裡に軍政施策を実践推進して以て大東亜共栄圏の一環としてジャワ住民の使命たる聖戦完遂に挺身する」ことを目的としており、多くの点で「皇民奉公会」と共通性がある。
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この8月15日の終戦を前後して、軍隊の内部では宮城事件や霞ヶ浦航空隊・厚木航空隊の抗戦呼びかけ・基地占拠などの動きがあり、また民間では愛宕山での尊攘同志会会員の立てこもり・自爆があった。これらはいずれも22日までには鎮圧されたが、島根県松江市では8月17日から19日にかけて、隣県の鳥取県美保航空隊基地から飛来した海軍機が「断固抗戦」のビラを撒き、市内にも「ソ連打倒・聖戦完遂」の張り紙がなされた。また鹿足郡柿木村では20日、新村長選任に際して本土決戦が意識されている。
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南出が塾長を務めている。「まほらまと」の実現及び聖戦完遂、國體護持、皇土保護を掲げ、憲法無効論を唱えている。主に講演会や勉強会を全国各地で行っている。
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演説は、天下為に動くを観るを得たるは聊か衷心の満足とする「世界人類の良心を警覚せり」と自負するほどの出来栄えであったという。遯吾は軍部の台頭しはじめる頃、当時の貴族院議長近衛文麿に自著を贈り、聖戦完遂を熱情的に念願し、時折時局に関する進言も行った。近衛が首相に任じられた翌昭和13年、学識ある者として貴族院議員の勅命を受けている。
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