義捐金
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天理教の「ひのきしん」活動があり、倒壊した家屋の後片付けや負傷者の救護および看護、衣類の寄贈のほか、「無料天理教ひのきしん風呂」を5か所に設置するなど、災害救援活動を行なった。海外から寄せられた義捐金にはヘレン・ケラーからの寄付も含まれていた。thumb|185px|昭和天皇御製碑特に被害の大きかった福井市、森田町、松岡町、春江町、丸岡町、金津町、芦原町は、特別都市計画法の適用を受け、大規模な復興都市計画の下、震災復興が進められた。
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そして全体として、この義捐金は非常によく管理されているように思われる。
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このときに何は地元人士に呼びかけて山東省賑災公会、紅十字会済南分会、災民救済会の設立準備を進めた。これにより義捐金数百万元が集まり、数十万人の民衆が救済されたという。
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また、6月中旬に予定されていた四川省内でのリレーは8月の開会式直前に延期、チベットでは3日間の予定を1日に短縮した。義捐金について便乗した詐欺が発生したほか様々な事件が起きている。
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伊方小に到着した澤勅使は、講堂で御救恤金を県知事に手渡し「このたびの非常は、お国のために戦って戦死したのと同じである」との聖旨が伝えられた。下賜された御救恤金の2千円や義捐金は分配され、遺族の手に渡された。行列した1千人あまりの児童には、鉛筆1本ずつが下賜されたと伝えられる。
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アメリカはこの間も支那への義捐金を千万ドル集めたそうだ。ダンス会かなんかやってちょっと千万ドル。
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撤去にあたっては、東京市が月島・三ノ輪・深川区・猿江に、東京府が和田堀・尾久・王子に小規模住宅群を造成した。また義捐金を基に設立された財団法人同潤会による住宅建設も進んだ。軍は橋をかけ、負傷者を救護した。
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良助は陸軍の兵站部を支援しようと、多額の義捐金など金品を寄贈した。なお、父である尾澤良甫は、同年8月1日に日清戦争勃発を知り大いに悲憤慷慨したところ突然倒れ、そのまま亡くなっている。
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ルワンダ政府は10万ドルの義捐金をルワンダ赤十字社経由で支援した。
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この学術探検の計画は、きのう王立地理協会で公表されたのだった。この計画の費用の一部として、すでに二五〇〇リーヴルの義捐金が集められていた。地理学上の記録において前代未聞とされている本計画の成果を、本紙はつぎつぎと読者にお知らせするだろう。
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住民の多くが家を失くすか、水と風で損傷を受けた家屋の中で住むことになった。カリフォルニア州ロングビーチ市はその名前の元になったこの市のために義捐金集めを行った。アリゾナ州ピオリア市は公的および民間の資源を提供した。
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とは、金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること。災害の際に被災地・被災民へ送られる義捐金・も寄付の一つである。経済において、寄付は福祉に係る費用の一部を担う重要な経済活動でもある。
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命懸けで職責を全うした吉良の行いは日本全国に報道され、逓信省も映画を製作するなど大きな反響を呼び、感動の手紙や義捐金が多く寄せられた。寄せられた義捐金の額は、当時の金額で4000円以上に上った。その責任感で日本全国から注目され、吉良の行為は後に、1933年発行の高等小学校修身教科書に『責任』という題で載録され、戦前・戦時下の日本では滅私奉公の象徴として広く紹介されたが、アイヌ民族ということは伏せられていた。
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今度の災害には、塩マスを五十貫とか、味噌を二十樽とか、衣類を何十包とか、反物二百反とか送られてきたことは聞いていた。義捐金も、百円以上の巨額を、たくさんの団体や個人が送ってきたことを聞いていた。だが、教科書や文房具を送って来たのはその救世軍だけであった。
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一部の事業者では、震災の影響で利用者が激減したことや復旧が資金的な面で困難である事などを理由として路線の廃止も検討された。岡山県の両備グループは運営している路線バスの車内に義捐金箱を設置した。首都圏では交差点への進入車両が極度に増えたことで、隣接する交差点まで車両の列が伸びて渋滞が連鎖的に増えるグリッドロックと呼ばれる「超渋滞」現象が日本で初めて観測され、解消までほぼ一日を要した。
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それは姉娘のほうでした。彼女は寄付名簿を持って、焼け出された人たちのために義捐金を集めに来たのでした。わたしたちの顔は見ないで、彼女はえらくまじめくさった態度で、詳細に、シヤーノヴォ村で家が何戸焼失し、何人の男女や子供が宿なしになったか、そしてそれについてまず第一着手として、罹災者救済委員会の設立が企図され、彼女も今ではその一員であることを説明しました。
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また義捐金ばかりではなく、陸軍省から糒、牛肉の缶詰、食塩が救援物資として送られるなど、多くの救援物資が大阪に送られてきた。これら救援物資は義捐金の配分決定後、被災者に配分されることになった。また警察は火災の最中、そして火災後の被災地に多くの巡査を防犯のために配置した。
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大会はその「慰労」という趣旨を込めて開かれた。選手の参加費や医師への謝礼などもプールされ、義捐金として寄付された。脇浜のアイデアだった。
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しかしながらこの基金は限られているから、もちろんしばしば全く不十分となるであろう。そこで時々この目的のために義捐金募集が行われる。しかしこの金額は比較的僅少でありかつ不確実なので、英蘭の教区税と同一の悪結果は及ぼさない。
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庶民のものは一頃約五百万円と計算されていたが、後にはもっと多くなったことだろう。畏き辺りの御下賜や富豪の義捐金を加えたならば、恐らく一千万円に近くはないかと推定される。無論この金は、官庁や自治体其の他の手に渡って匡救費として使われている筈であり、或いは少なくとも使われることになっている筈であるが、併しその実際の用途は必ずしも明らかではない。
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パデレフスキーはここに及んでポーランドを三国分割から独立させるためのキャンペーンを開始し、当時アメリカにいた五百万の亡命ポーランド人の中から十万人を組織して義勇軍を作る。更にジュネーヴの邸宅などを売り払って、義捐金をポーランドに送るのである。このとき、既に五十四歳となりそのピアニストとしての名声の頂点に立っていた彼は、ポーランド独立を勝ちとるまでは、とすっぱりとピアノを捨てる。
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また、考える会によって募金活動がおこなわれ、全国から600万円以上が集まった。この義捐金は、文化財指定外のために補助を受けられない建物の所有者に渡された。さらに考える会は、全国町並み保存連盟を通してワールド・モニュメント財団に支援を依頼した。
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十円の金は十円の金で、どうでも使える。死金にもなり、悪銭にもなり、義捐金にもなれば、自殺の旅費にもなるのである。どっちみち一夕十円標準でやろうと名をつけているのが、文壇人の経済事情、生存感情の推移とその現代性を語っている。
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宗教法人や宗教家は震災直後から被災者への支援に乗り出しており、金銭・物資の提供、信者によるボランティア、宗教施設の避難所としての開放などが続けられた。新宗教の中には多額の義捐金を出したところもある。宗教学者の山折哲雄は、橋本五郎との対談で、ある意味「精神的末法」である震災後の世界の中での宗教の役割を問われ、「阪神大震災、東日本大震災の両方で宗教者は一生懸命やっていてもボランティアと同じレベルだった」という。
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何とかしなければならぬ。西川は、地元二紙に義捐金募集の公告の出ているのを見た。清野知事からも、神戸在住の富豪に呼びかけ、廉売資金を募るという同様の申越しが来ている。
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これに民間からの義捐金254億元を合わせ、災害復旧及び復興の事業にあてた。台湾の中南部に過去例のない大きな爪痕を残すとともに、地球の気候の変化によって極端なものになる中、誰も自然災害の脅威から逃れることはできないことを、国民全体が深く理解することとなった。
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慈善の方策は、それを分配すべき必要が生ずるまでは、眼に見えぬようにしておくべきである。蘇格蘭の地方教区では、一般に、少額の随時の自発的義捐金で十分である。立法は、既に十分あり余る水流を増大するために、干渉する必要はない。
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「義」は、正しい行い、もしくは公共のために力を尽くすことを意味し、「捐」は、捨てる、捨て去るの意である。すなわち「義捐金」は、正しい行いのため、公共のために捨てる金を意味する。戦後の国語改革で「捐」が当用漢字に採用されなかったため、「義えん金」と混ぜ書き表記した。
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