細雪
138 の例文
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以上谷崎文学の好所をばかり数へ上げてみた。といふのも細雪が谷崎文学の長所を十分に発揮した作品だからである。とは云へ谷崎文学とても全体としては決して申し分のないといふ有難いものではない。
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和田は『東京オリンピック』を最後に脚本の筆を置き、直後に乳癌を発病して闘病生活に入ると、新たに脚本家を迎えて執筆する事が多くなった。和田の脚本は『細雪』のラスト直前の小料理屋のシーンが遺作となった。和田の病気引退後は、大部分の作品に自らが執筆参加している。
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それなのに「細雪」に於て、果してもう一度同じことが言えるかどうか。どうも僕には、作者が将棋盤の上で雪子という駒を中心にして、作者の愛著措く能わない風景や行事の間に、幾つもの駒を巧みに出し入れしてその効果をゆっくり愉しんでいるような気がする。
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小出君の家は電車で私のところから一と停留所で、毎日私が書いたあと、新聞社の人がそれを持つて小出君のところへ行つてゐたが、翌日の新聞を見るのが楽しみであつた。「細雪」は好きになれるかどうか、もう少したつてみないと分らない。何を書いた時でもその時はよく書けたやうな気がするものだから、暫くたつてみないと本当によく書けたかどうか、自分では納得が行かない。
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谷崎潤一郎の『細雪』の仏訳者に決まったこともあったが、実現しなかった。
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そしてこの作品は悪く言えば古典の通俗化の試みであり、また創作というよりは一種の翻案に違いないが、その発想の点では、種彦は現代小説としての源氏物語の再現を目論んだものと言ってもよいと思う。後になって谷崎潤一郎の「細雪」を読んだ時にも、私はやはり同じような印象を受けたのである。ただ種彦の場合には、谷崎さんのように翻訳をしたあとから小説に取りかかるだけの余裕がなく、謂わば両者を兼ねた作品だったから、勢い原作に較べて、あらゆる点が卑小になるという破目に陥ったのはやむを得なかった。
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さながらに坦々たる都大路を行くやうなとでも云はうか。この特長は初期の作品にもよくあらはれてゐたが、その大成の姿を示したものがこの細雪ではあるまいか。その重厚に大らかなものに更にきめのこまかさを加へて、まことにめでたいものである。
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西郷従道の仲裁による三菱と共同の大合同のための最終協定案が成立、この協定書が農商務省に提出されたのが十八年二月五日。その翌日の細雪が舞う朝、三菱の幹部たち全員が湯島の岩崎邸に詰めていた。ときおり表門から、あわただしく人力車が走り出していった。
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「東雲篩雪」を「凍雲篩雪」と解釈する説は多くの研究家によって認められている。東は凍るに通じ、凍るような空から篩にかけたかのような細雪が降る光景を描いたものであるとの説である。また凍の字の方が東より南画としてふさわしいとの意見もある。
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ピンクの花びらがひらひらと舞っていた。一枚、二枚、次第に増えつづけ、やがて細雪のように風に流れた。翡翠が待っていてくれている場所はもう近い。
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内容は、折口が谷崎から『細雪』上巻の寄贈を受け、それに対する礼状である。そして折口が谷崎の『細雪』を読んでいたのは、昭和二十年四月のころのことであった。ということは、当時起居を共にしていた者が目撃している。
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私が「細雪」の稿を起したのは太平洋戦争が勃発した翌年、即ち昭和十七年のことである。これがはじめて中央公論に出たのは昭和十八年の新年号であつたが、それから四月号に載り、次いで七月号に掲載される筈の所がゲラ刷になつたまゝ遂に日の目を見るに至らなかつた。
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文豪谷崎潤一郎の旧居。ここで執筆された代表作にちなんで「『細雪』の家」とも呼ばれる。庵号は夫人の名前「松子」に因む。
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戦後に発表が再開されたものの、今度はGHQによる検閲を受け、戦争肯定や連合国批判に見える箇所などの改変を余儀なくされた。それらの過程を経た『細雪』全巻の発表経緯を以下にまとめる。
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ほかの光の霊も、それにつれて赤色に変わって、第八の天はまるで夕焼のようになってしまう。その光の霊たちは、水気のように細雪となって昇天して、ダンテの視野から消えていく。ベアトリーチェはダンテに、地球を見おろしてみよ、という。
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十二月、『細雪』中巻を脱稿したが、軍当局から印刷頒布を禁止される。昭和二十年五十九歳 八月十三日、永井荷風の訪問を受け、原稿を託される。
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「細雪」のなかの或女性は、花のなかでは何が好きかと訊かれて、「それは桜やわ」と答へた。たべ物としての魚類のうちでは何が好きかと訊かれて、それは鯛であると答へた。
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実にはっと思う。それは「細雪」があまり戦争と無関係な「現代上流女性」の描写に終始しているからである。巧いと思うが、それは持って行き場のない技巧の集成のような感じで、生命が無いようにも見える。
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まことにもつともな指摘であつて、たしかにこれでは江戸明渡しと『細雪』とがいつしよになつたやうで具合が悪い。
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水が出た二三時間後に近所を歩いてみた見聞と、あの辺で実際に水害に遭つた学校の生徒の作文をあとで沢山見せてもらつたので、それが参考になつてゐる程度である。「細雪」には源氏物語の影響があるのではないかと云ふことをよく人に聞かれるが、それは作者には判らぬことで第三者の判定に待つより仕方がない。しかし源氏は好きで若いときから読んだものではあるし、特に長年かゝつて現代語訳をやつた後でもあるから、この小説を書きながらも私の頭の中にあつたことだけはたしかである。
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「細雪」は、1983年9月に五木ひろしが発売したシングルである。
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桜について書かれた小説で最も美しいのは、谷崎潤一郎の「細雪」の中に出てくる平安神宮の花見の描写であろう。この作品とは別に、谷崎家で働いた女性について書かれた「台所太平記」が劇化された時、「お手伝いさん」たちが、京都を離れている作家を慰めるために、熱海の家の庭にしだれ桜を紙でこしらえる場面があった。
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簡明で云おうとすること、内容がくっきりとうちだされていて、あいてによく通じるわかりやすさ。それが必要なばかりでなく、これからの文学のことばのなかには漱石も知らず、志賀直哉の生活と文学にもなく、「細雪」にもないいろいろの社会科学のことばや、科学のことばが、こなれてはいって来るようにもなるだろう。わたしたちの生活の現実で社会の関係についての常識や、人民的国際関係についての常識はどんどんひろがるのだから。
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人類のもつ美しく立派な文学の一つでもが、何かの意味で無情な破壊力の抗議であり、人間の訴えと欲求に立っていないものがあっただろうか。世界文学の中に日本の現代文学がどういう価値をもつかということは、決して「細雪」をもっていることだけでは計られない。
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先生との会話に「細雪」の批評が出て、あの筆致はスタンダールを摸したものならんと先生いえり。O家の三代にわたる家族史を小説に書きたきも、自分は一日に三枚しか書けぬ。
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なんでも谷崎の「細雪」を、早くとりやめなかったというようなことであったらしい、と。
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谷崎の秘書を務めた伊吹和子は、「谷崎が仕事で必要な時以外に源氏物語を読んでいる姿を見たことがないし、谷崎が最も機嫌が悪くなったのは細雪などの自身の作品が源氏物語の影響を受けているという他人の発言を聞いた時だった」といった証言を行っている。なお、生前に谷崎と交流があり、自身も『源氏物語』の現代語訳を手がけた円地文子は、周囲に対して「谷崎さんは源氏がお嫌いなのよね」と語っていたという。
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サラリーマン家庭の長男として生まれ、小学生の頃は少年野球に明け暮れる。幼少期より音楽や演劇にも才能を発揮し、大阪の国立文楽劇場の舞台で、『細雪』に子役で出演。四女役の桜田淳子や同じく子役の岩崎ひろみなどと共演するが、この舞台を最後に芸能活動からは引退。
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