納屋貸衆
3 の例文
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商港の海浜には、納屋棟がたくさん建ち並んでいた。この納屋持ちの豪商たちを納屋貸衆といって、堺では指折りの家とされている。その内から、十人衆という者を挙げて、この十人衆が、公事訴訟から、許された範囲の町の自治は何事も扱っていた。
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交通の便利は未だ十分ならず、商業機関の発達も猶幼稚であった時に際して、信頼すべき倉庫が、殆んど唯一の此の大商業地に必要で有ったろうことは云うまでも無い。納屋貸衆は多くの信ぜらるる納屋を有していて之を貸し、或は其在庫品に対して何等かの商業上の便宜を与えもしたで有ろうから、勿論世間の為にもなり、自分の為にも利を見たのであろう。夙に外国貿易に従事した堺の小島太郎左衛門、湯川宣阿、小島三郎左衛門等は納屋衆の祖先となったのか知れぬ。
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それで足利幕府でも領主でも奉行でも、何時となくこれを認めるようになったのである。此等の人々を当時は、納屋衆、又は納屋貸衆と云い、それが十人を定員とした時は納屋十人衆などと云ったのであった。納屋とは倉庫のことである。
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