納屋宗雪
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九州黒田藩の家臣立花実山が、貞享三年藩主に従つて江戸に上る途中、蒲刈に船をとどめてゐたとき、京都の何某といふものから手紙がきて、利休秘伝の茶湯書五巻を所持する人があり、それを密々に書写してもよいといふ趣であつたので、縁に感じて写しとつた。その後この書の残部を探してゐたが、元禄三年にいたり、堺に宗啓の遠孫にあたる納屋宗雪なるものがゐて、残りの二巻を所持してゐることがわかり、懇望して書き写した。ここに七巻が成つたのだが、そのうちの秘奥と思はれる九ヶ条を実山自身がぬきだして別巻としてこれを筐底に秘めておいた。
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私は小宮氏のいふやうに、実山を正直な人物とは直ちには思へない。実山とその弟巌翁との合作、または巌翁が合作をよそほつて一人で書いたとも思はれる八巻九巻も、また実山が宗啓の遠孫納屋宗雪所持の原本から写しとつたといふ六巻七巻にも、前五巻以上にあいまいな節がある。然し前の五巻と後の四巻をきりはなして、前五巻だけは少くとも利休直伝の正銘なものだと断定するほどの根拠もない。
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この100年という数字に作為性を読み取る研究者もいる。全7巻の内、「覚書」から「台子」までの5巻は、貞享3年に千家あるいは「利休秘伝茶湯書五巻所持の人」が秘蔵していたものを書写、その後元禄3年に堺の「宗啓肉族、納屋宗雪」所持の2巻「墨引」「滅後」を書写したという。このことにより前5巻と後2巻の成立事情が違うことが察せられ、取り扱いに際して留意すべきである。
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