礼賛
386 の例文
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また彼の民主主義的思想は、移動派に近いものだった。それまでの英雄礼賛だった戦争絵画に、哲学的な意味を持たせるようになった。連作が多く、トルキスタン遠征、露土戦争、ナポレオン・ボナパルトの侵攻を迎え撃った祖国戦争をテーマに描いたものがある。
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尊敬すべきほうの無口はきわめて少ない。少ないからこそそれを礼賛する格言が数多く生まれたのであろう。「サイレント・ネービー」は無口を恥としない。
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それは、フィリップの観念にはおよそ縁のない風景だった。正確な写実主義を礼賛する流派の人たちのあいだで暮してきたからである。だが、ここにもまた、自分自身にもふしぎなことに、彼がいままで謙虚にその跡を追求しようとしていた巨匠たちでも到達し得なかった真実を感知することができた。
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いずれはそなたも、もう少しましな礼賛ができるようになるだろう。
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とにかく、彼女を知るということは、ひとつの特権になっているのだ。彼女はまた島一番の名コックで、しかもうまい食物の礼賛者でもあった。朝から晩まで、台所にある背の低い椅子に腰をかけ、一人のシナ人コックと、二、三人の現地人の娘にとり囲まれて、指図をあたえたり、だれかれの区別なく相手にして愛想よくおしゃべりをしたり、また彼女が工夫した味のいい料理の味見をしたりするのだった。
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彼女を知ったことは、たしかに一つの光栄であった。彼女は、島一番のコックであり、またたいへんな美食の礼賛家だった。朝から晩まで、料理場の低い椅子に腰掛けて、一人の中国人コックと二、三人の土地の娘に囲まれながら、しきりに指図を与えている。
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自分が学位をとったケンブリッジを軽蔑の念をこめて語り、ハイデルベルクで博士号をとって故国に帰り、教師生活をはじめなければならなくなったとき、自分を待ち受けている生活を考えて、もうたまらんといったふうに話をしていた。彼は、幸福な自由と楽しい友人を与えられているドイツの大学生活の礼賛者だった。学生協会の会員で、学生クラブにフィリップを一度案内する、といっていた。
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それと、田中光二。彼はタイに行ってきてから、東南アジアの礼賛者になっている。案内役としてSEAPCENTREの永見さんもいっしょである。
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それが終わると、こんどは越後の鈴木牧之宛の手紙をかき出した。これも篠斎同様の礼賛者だが、馬琴はこの人物から別に妙な依頼を受けている。この人物もただの縮問屋のあるじではなく、ものをかく能力の持ち主で、ずっと以前から自分のかいたものを江戸で出版したいという望みを持っていた。
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特に1992年の『ミンボーの女』では、ゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き、観客は大喜びした。これまで日本では、映画でヤクザをヒーローとして扱い礼賛していた。
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神のしもべを名乗る者たちで本作の狂言回しの役を演じている。人身御供を信仰させている神の関係者であるため生け贄を捧げる事を礼賛してくる。シルシちゃんには複数の個体が存在し、それぞれの姿が異なっておりゲームに登場してきた順番から「一号」などの号順で名乗っている。
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家に帰ってみると、暖炉飾りの上に羽毛のスカートをつけたキューピー人形がのっており、穏やかなデイジーがかたくなに、どうしてもそれをのけようとしないこともあった。デイジーが子どもたちに、温順さを礼賛し教えこんでいることも知っていた。天国や地獄の話もして聞かせていた。
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まったく、それがわざとらしい顔でなされ、目つきがその言葉を裏切っている場合、また反対の意味にとられる彼女たち専門の隠語を用いて言われる場合は、それはそれでけっこう。でもわたしは天真爛漫を大いに礼賛する者だから、このことだけはどうしてもだめである。もしその率直が全く無邪気で子供らしいものでないならば、やはり良家の子女としてふさわしくない。
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つねにグラックスにつきそっていて、主人がローマで演説をするときには、その声を和らげたり強くしたりさまざまに加減したというあの笛吹きは、もし音響の調子や性質が聞き手の判断を左右する力をもたないものとすれば、いったい何の役目をしたのであるか。まったくこの判断という立派な能力の堅固さは、大いに礼賛するだけのことがある。それはこれほど微かな息の加減にさえ動かされ変るのだから!
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人格形成の面から農村での生活が道徳的・精神的に好ましいという信頼できるデータは存在せず、徴用といった強制手段により住みなれた場所から離れて集団生活を送ることによって精神疾患に陥る危険や、閉鎖的な集団での生活が深刻かつ残酷ないじめを生むなどといった可能性が存在する。農業労働を無条件に礼賛する思想は古今東西に存在してきた。春秋戦国時代の中国では君臣上下の別なく農耕に従事すべきと主張する農家が存在していた。
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戦時中には、勤務礼賛の意味で国民の間で広く使われた。軍歌「月月火水木金金」は、上記を元にした日本の軍歌である。
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しまったとは思わないはずだし、少なくともテレビは人を殺さぬ。話が横道にそれ、カラー礼賛になったが、それを見ながら、また子供が言った。「あのガラスをはずせば、むこうの世界へ行けるの」ときた。
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むしろ異国を憎むどころか、みずから接近して、かれらの国に渡ろうとした行為が許せない。会ったところで、外国礼賛のひとくさりも聴かされるのがオチだと思ったりもしていた。しかし、口をそろえたように先輩たちがすすめるところをみれば、やはり相当な人物なのかもしれない。
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もし自分の心の中で自負の炎が燃えあがることがあったとしても、人類に裨益しようとする心がその炎を効果的に消してしまいました。人類礼賛が自分の活動範囲であり、博愛の精神がその裏打ちの保障になっています。
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しかし、一方では後述のように安倍晋三銃撃事件の逮捕された犯人を礼賛している。
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特に奈良の薬師寺所蔵の仏足石が有名で、これは753年、天武天皇の孫である智努王によってつくられたことを示す銘が刻まれた、日本最古の仏足石である。同じ薬師寺には仏を礼賛した仏足石歌21首が刻まれた仏足跡歌碑がある。この仏足跡歌碑に刻まれた歌は、五・七・五・七・七・七の6句からなり、記録に残る歌でこの歌体による和歌は、この歌碑に刻まれたものがほとんどであることから仏足石歌体とよばれている。
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これを期にわかは、1947年、婦人保護施設「幡ヶ谷女子学園」の名で施設を再開した。なお、戦時の日本やドイツのナチズムなどを礼賛するなど、重大な問題を残した。
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至る所に素晴らしい彫像が建てられた。人の形の美の礼賛がなされた。新しい時代の人たちは古代芸術家と競うだけでなく追い越すように努力した。
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メンバーには、北朝鮮を礼賛する社会民主党所属の市議会議員もいる。万里・全国人民代表大会議長夫人とも親しい関係にある。
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農業経済についての論文から、中国問題まで論じた。山内一男らと共に文化大革命を礼賛した代表的な人物として知られる。中国研究所所員。
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マルティン・ルターは感謝を「キリスト教の基本的姿勢」と呼び、現在でも「キリストの説いた福音教義の核心」として言及される。キリスト教徒には、自分達の創造主を礼賛して感謝を述べることが強く推奨される。キリスト教の感謝では、神があらゆる善行の無私無欲な贈り主と見なされており、このためキリスト教徒が共通の絆を共有して信徒のあらゆる生活側面を形成できる深い感謝の気持ちがそこにある。
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それに対して、法務大臣も、警備局長も、的確な対応策を、提示できない。困ったことに、江崎たちの行動を、礼賛する人たちが、現われた。一部の雑誌だが、彼等の行動は、「平和ボケした日本人に対する強烈な警鐘である」と書いた。
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エンゲルスはこのような暴力革命礼賛を、一八七八年から没する直前の一八九四年まで、ドイツの社会民主党員を相手にして粘り強く続けた。こうした礼賛と国家「死滅」の理論は、どのように一つの説に融合するのであろうか。通常、両者は折衷主義の助けを借りて結び付けられる。
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