現代の日本語
64 の例文
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こうした異体字をふくむ平仮名と片仮名は明治時代になると政府によって字体の整理が行われ、その結果学校教育をはじめとする一般社会において平仮名・片仮名と呼ばれるものとなった。このふたつは現代の日本語においてもそれぞれ重要な役割を担っている。日本語の音節には清音と濁音の別があり、現在濁音をあらわす平仮名・片仮名には濁点が付くのが約束となっている。
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本来、文章というのは言葉を文字に写したものですから、当然のことです。ところが現代の日本語は、同音語の氾濫によって、混乱しきっています。だから、これらの明治の自然主義小説家たちが、近代的な精神状態を、耳で聴いて判るような口語文で表現することに成功したということは、大変な努力だったと云うべきです。
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そこに目醒めることの最も遅いのは現代の日本の指導階級ぢやないかと私はひそかに思つてをります。これが先づ文学者として私が現代の日本語について考へてゐることであります。最後にこの国語と云ふものの改良の方針、その技術と云ふことについて、素人考で考へますと、先づ日本語をどんな国語にしようと云ふのかと云ふことが第一の疑問になるのであります。
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赤い文字は、現代の日本語で使用されないかなを示す。
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しかし「婦」の字の「箒」は清掃の道具ではなく、祭壇を掃き清める道具であると漢字学で解釈されているので、安易な言葉狩りであるとも言われている。現代の日本語においてより一般化した呼称が「女性」である。
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日本の古典に於て、フランス語に於て、言葉は美しかった。さて現代の日本語は如何にして美しくなり得るか。安東次男の次の仕事は、まさにこの点にかかって来よう。
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ゆ、ユを小書きにした文字である。現代の日本語では、一般にい段の音の後にしか来ない。ただし、外来語を日本語で表記する場合などには、「て」、「で」、「ふ」、「ゔ」の後に来ることがある。
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ある言語学者はコンピューターによって、一世紀後の日本語の単語を予測し、こうした原語が全体の単語の大部分を占めるであろうという結論を出しています。私たちのように現代の日本語を使って仕事をしている文学者にとって、それは恐るべき予測です。いま書かれている文章の大部分は、一世紀後には古文となり、ほとんど外国語と同じになってしまうのでしょう。
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これは現代の日本語では同じ発音であります。仮名遣の上では区別しますけれども、実際の発音としては同じである。
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日本語の概略に関しては日本語を参照。現代の日本語では、主に以下の3種類の文字体系が用いられる。これらの文字を併用して表記された文章が仮名交または仮名交文と呼ばれる、現在の日本での標準的な文章である。
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「青年期」「変声期」などは、前2字が後1字を修飾する構造と分析することができるが、同様の構造をもつ「思春期」のように被修飾成分を伴って初めて自立した語となれるものも多く存在する。現代の日本語において、漢文の統語論では説明のつかない三字熟語も多く存在する。例えば、「望遠鏡」「内視鏡」がある。
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私は国語問題について別段専門的な研究をしてゐる者でなく、従つてこの問題について適切な意見を述べる資格はないのであります。一作家として現代の日本語について何か考へて居ることでもあればといふことなら、この機会に少しばかり感想を申上げて見たいと思ひます。従つて、今日御話しすることは多分極く常識的な意味の言語風俗と云ふことになるのではないかと考へます。
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以上のやうな前置をした上で、私は少し文学者として見た現代の日本語と云ふものについて申上げて見たいと思ひます。現代の日本語は色々な性格を持つてゐるのでありますけれども、その性格はどう云ふところから生れて来たのかと云ふことは非常に面白い研究になると思ふのであります。併し私はまださういふ研究はしてをりませぬし、唯そこに面白い研究題目があると云ふことだけ気がついてゐるのであります。
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以上のやうな現象が平然として行はれ、また私自身もさう云ふ現象の中で仕事をしてゐるのでありますから、今日の文学者は、概して、二三の特志家を除けば、厳密な意味でわが国語の正しい使ひ方、正しい発展と云ふ風なことについて口巾つたいことは言へないのであります。以上のやうな前置をした上で、私は少し文学者として見た現代の日本語と云ふものについて申上げて見たいと思ひます。現代の日本語は色々な性格を持つてゐるのでありますけれども、その性格はどう云ふところから生れて来たのかと云ふことは非常に面白い研究になると思ふのであります。
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これは中国の文と同じ順序である。現代の日本語は他の方法も採用している。「横書き」といわれるもので、英語などのヨーロッパ諸語と同一の方法である。
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そういう文体を現代の日本語に移しとろうとすると、谷崎先生ほどの文章家であっても、なかなかうまくはいかないものだったようです。それはけっして谷崎先生が悪いのではなく、現代の日本語が、もう平安時代の言葉とは全く違ったものになってきているからです。あの時代には、まず仮名文と漢文とが、はっきり分かれていました。
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だが、そのやうな相互的な、あるいは可逆的な関係は、現代日本文明には存在しなかつた。現代の日本語は話言葉による専制的な支配の政体である。そこでは文章が会話に服従し屈伏してゐる。
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