熊野先達

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  • しかしながら、延宝の覚書の第二条にあるように、幕府が本来問題としたのは本願所住職と熊野先達としての梅本院住職との兼帯であって、修験道を禁止したわけではない。 ...
  • 熊野詣の盛行や有力者による荘園の寄進、熊野先達の活動により全国に熊野信仰がひろまったことにより、熊野三山の祭神を勧請した神社が全国に成立した。 ...
  • 熊野先達号とは、本来、本山派・当山派の教団の管轄下に付与されてきたものだが、新宮庵主が独自に山伏・比丘尼に熊野先達号を許していたことをこの史料は示している。
  • 室町時代から戦国時代にかけて熊野山領の荘園からの収入が減退したことが熊野先達・御師の発達を促し、熊野先達の活動が全国に及んだことで熊野信仰の伝播はいっそう促進された。 ...
  • つまり、滝尻上宮域とは単に磐座祭祀の場であるにとどまるものではなく、本宮に対する山宮に通じる特別な浄地・聖地であり、両者を熊野先達がつないでいたのである。 ...
  • むしろ、元禄9年の幕府覚書が明言する通り、本願が配下の山伏・比丘尼を支配する力は何ら否定されていないばかりか、兼帯禁止の後も新宮庵主は熊野先達号と比丘尼大姉号の免許権を維持し続けていた。 ...
  • 彼等は熊野先達として近隣の村々から旦那を引き連れて熊野本宮に向かったようで、「熊野本宮大社文書」の中に残された、南北朝・室町時代から戦国時代にかけての御師文書の中に、石龕寺先達として法忍坊、実行坊、宝泉坊、教善坊、乗泉坊、実行坊、尾崎坊、福聚院、西芳院、井坊などの坊名・院名が散見される。 ...