法被
全て
名詞
402 の例文
(0.00 秒)
-
すると、三人は揃って上り湯にかかり、つづいて板の間で着物を着はじめた。二人は浴衣だったが、一人は入れ墨の身体の上に法被をひっかけていた。円の中に「二番組」という消防の印半纏だった。
...
-
そんな中で温暖化もあって従来の三つ揃いでは暑いという事もあり、昭和晩期からダボシャツを使用する町内が出てきた。中には法被を着用せずダボのみという町内も一部に存在するようになった。更にはTシャツとダボズボンという所もある。
...
-
停車場へ着くと、提灯を持った男が十人余り出迎えていた。法被を着た男や、縞の羽織に尻端折りをして、靴をはいた男などがいた。中には羽織袴の人もあった。
...
-
白蓮事件の取材に歩きはじめたのは、七月半ば。長法被の男たちが博多の町に群れて、山笠の入りの夜に当たっていた。秋になり、さらに晩秋へと旅を重ねた。
...
-
住職が本山や桑名藩へ正式に参勤するときは、本格、半格と称して三十二人人、または十六人の伴を従え行列を組んだ。そのときに用いた大名籠や法被、奴の道具などは今も残っている。桑名藩主とは「往来御免」が認められており、籠に乗ったまま、よけるだけで通行できた。
...
-
-
男達は1年前より準備を始める。それぞれの会名は毎年変わるため法被なども新たに準備する。宇佐八幡宮祭礼と同日に荒木町八幡宮の春季祭礼が行われており、1基の神輿が巡行しているが、夕方午後5時すぎに宇佐八幡宮と、荒木町八幡宮の2基の神輿が福光市街地中心部を流れる小矢部川に架かる福光橋の上で「出あい」といわれる対面をする。
...
-
舁き手の服装は博多では明治以降は水法被に締め込みと決められている。それ以外の山笠でも、福岡市とその周辺、佐賀県では原則は水法被に締め込みであるが、多くの地域で締め込みではなく、ダボシャツ半タコとなり、締め込みは少数派となった。
...
-
当番法被や水法被はそれぞれの町ごとに異なったデザインのものを着用し、紺の久留米絣を用いた水法被が多い。八番山笠の舁き手は「上川端」と背に書かれた独自の水法被を着用する。
...
-
主に室内用の防寒着として用いられ、男性・女性に限らず着用される。法被と袢纏の違いは服装の歴史から見てもあまりはっきりしない。江戸時代、法被は民間のものとして発達してきたものではなく、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、それが明治時代になっても官員などの生活の中に受け継がれてきた。
...
-
西流の山笠の運営は流の区域を5つのブロックに分け輪番で運営にあたる。当番法被や水法被はそれぞれの町ごとに異なったデザインのものを着用する。山笠終了時に舁き山の飾り物を争奪する「山崩し」をおこなう。
...
-
法被と同じように袖の着いたものが普通であるが、ベストのような袖なしのものもある。元来は笈摺といって、昔は巡礼の際に観音像を背負って歩いたが着物が観音様が直に触れてはいけないとして、白い布を間に当てたのが起源となる。
...
-
子供連れが多かった。小さな子供が法被のように白装束をまといつけているのは可愛らしい。大きなトランクを転がしている西洋人の夫婦もいた。
...
-
当連合の名前が使用できなくなったため、二団体は法被の変更および道具の一新を行った。
-
夫だけは祖父の顔を知っている。マンションのちえ子の机の上には、法被姿の祖父の写真がいつも飾られているのだ。ちえ子は祖父の背に駆け寄った。
...
-
今年も参加したのだが、姫ノ木が所属する祭りの会はやたらと盛り上がった。二作目のビデオで姫ノ木が祭りの法被を着るシーンがあるのだが、それを会の一人の男が見て驚いた。「こいつは、毎年三社祭りに来るあの子じゃねえか」 たちまち、ダビングされたテープが会の連中に行き渡り、姫ノ木が祭りに行くともう一番の人気者になっていた。
...
-
捨丸がこの情報を得たのは宗兵衛の屋台においてであり、『朝鮮の忍び』と喋った男は他ならぬ金悟洞その人だったからだ。もっとも金は紺の法被にぴっちりしまった股引という職人の姿だった。鉄砲職人というふれこみだった。
...
-
私は巡査か、でなければ探偵だと思いましたので、何事が起ったのかと胸をとどろかせました。が、その男は巡査でもなく探偵でもなく法被を着た警察の小使らしい男なのです。
...
アマゾンで検索:法被