永久服役
18 の例文
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緒方が大学の先輩松前重義の口利きで、電気試験所に傭員の資格で採用が決まった。永久服役の職業軍人が役所に入るにはそれしか方法がなかったためである。一方、終戦末期、四ヵ月ほど高柳の指導を受けた短現士官出身の宍道は、故郷の島根県出雲で新しい年を迎えた。
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主計科士官についても同じ依託生制度はあったが、1923年を最後に採用例が絶えている。そして、以上のいずれも期間を定めずに現役士官として勤務する永久服役とされていた。
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もっとも、戦争や事変などの最中には終結まで服役期間の延長を命じることが可能であり、太平洋戦争期には2年が経過してもそのまま軍務に留まることが多かった。また、現役中に志願して許可があれば永久服役も可能であった。職務の内容は、通常の各科の将校相当官と同様である。
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技術科士官大量採用のピークは、十八年九月入隊の三十三期生。何しろ、このときは永久服役、短期現役を含めて二千名もの学生が採用された。もちろん、初級士官教育は前期同様、青島で行われた。
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これでは好きな研究生活から遠ざかることになる。それがいやさにあえて永久服役の試験を受けたのだ。周知のように、盛田は愛知県の銘酒「子の日松」を醸造する名門酒造家の御曹司である。
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横須賀工廠無線実験部の桂井誠之助少佐が、電波研究部に転属してきたのはその直後の四月一日である。桂井は技術科二十五期の永久服役組で、任官後、しばらく伊藤研究室でマグネトロンの初期研究を手がけた経験もある。それを買われ、難航している二号二型改一電探の改良主務担当に選ばれたのである。
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現役特志とは、予備役将校が志願と選考ののち、永久服役の現役将校として認められるもので、大変な狭き門でもあった。海軍の歯科医将校制度は昭和17年1月に、3名が現役士官の第1期生として歯科医少尉候補生に任官し、終戦までに永久服役と短期現役を合わせて9期生まで、歯科医見習尉官として採用された。
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十七年三月卒業予定の大学生の卒業が三ヵ月繰り上がり、十六年十二月卒業となったのもその一環である。この緊急措置で、十七年一月、海軍技術中尉に任官した学生は永久服役九十九名、短期現役六百九十四名であった。また、この年には、次年度の卒業がさらに三ヵ月短縮される。
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また、この年には、次年度の卒業がさらに三ヵ月短縮される。そして九月に永久服役百九十八名、短期現役一千百五十二名と、前期の二倍近い学生が紺色の第一種軍装を着るようになった。ところが、これだけ大量の学生を一ヵ所に集め、初級士官教育をする適当な施設が国内になかった。
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任用後の養成方法は科ごとに異なっている。技術系の士官の場合、永久服役の士官と基本的に同内容で、砲術学校で3カ月半の基礎軍事教育を受けた後に海軍工廠などでの実務練習と海上実習を経験した。ただし、現役期間が短いため、通常2回の海上実習は1回のみで終了した。
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東北大学の渡辺寧教授の教え子であった吉田には、もともとそんな一途なところがあった。しかも、永久服役の技術科士官としての自負心も人一倍強かった。そのせいか技研時代も伊藤の指導法にさまざまなクレームをつけるなど、いろいろ話題を残している。
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これに対し、主計科については海軍経理学校で5カ月の即成教育の後に実戦部隊へと赴任した。通常士官の永久服役と異なり、2年間で現役期間を終えると予備役に編入され、軍務を去ることができる建前であった。そして、現役定限年齢まで予備役に服し、有事の際には通常の予備役士官と同様に召集されることになる。
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その結果、思いついたのがこれらの人々を武官に転官させることであった。待遇はそれぞれのキャリア、勤務年数によって決められるが、大学や高専を同年に卒業した永久服役士官に比べると、だいたい一、二年下のところにランクされている。この制度の導入で、昭和十四年に転官した文官は、造船六名、造機二十二名、造兵百十四名にのぼった。
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十九年三月、その呉工廠電気部に着任した若い技術科士官がいた。青島二期の永久服役組・野田克彦技術中尉である。野田は厳父が旅順工大の学長をしていた関係で旅順生活が長い。
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その象徴である各種艦艇を造っていたのが、造船、各種機械、搭載兵器の開発を担当する「海軍技術科士官」と呼ばれる一群のエリートたちである。技術科士官には大学在学中に海軍委託生の選抜試験に受かった永久服役士官と、大学卒業後、二年間現役に服務する短期現役士官の二通りがあった。両者とも大学卒業後ただちに中尉に任官する。
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当初は大学卒業者であれば各科の中尉、医学専門学校・薬剤系専門学校卒業者であれば軍医少尉・薬剤科少尉、その他の専門学校出身者でも少尉候補生に任じられた。ただし、1942年からは永久服役者も含め、少尉候補生に劣後する見習尉官を経ることになった。この点、同じく一般大学卒業者などを対象にした海軍士官養成制度でも、飛行科予備学生の場合は海軍兵学校在学中の生徒にすら劣後する身分に置かれ、1942年に兵科も採用する海軍予備学生へ改正されてから少尉候補生に準じる身分に変わった。
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現役特志とは、予備役将校が志願と選考ののち、永久服役の現役将校として認められるもので、大変な狭き門でもあった。海軍の歯科医将校制度は昭和17年1月に、3名が現役士官の第1期生として歯科医少尉候補生に任官し、終戦までに永久服役と短期現役を合わせて9期生まで、歯科医見習尉官として採用された。そのうち、歯科医少尉に任官したのは五期生までであり、六期生以下は海軍賀茂衛生学校に在学中に終戦を迎えている。
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