棋士人生
10 の例文
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みんなが見ているA級順位戦の最終戦で、なんの引っかかりもない勝負を戦うのは、その棋士が落ち目であることを証明するようなものだ。現実はそうならなかった所に、谷川の棋士人生運の強さを感じる。彼は田中が勝ったのを、当人と同じくらい喜んだだろう。
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それも一方的に攻めまくっての快勝だった。棋士人生の最後の頃になって、生涯の傑作を指すあたり、師の大山とそっくりである。まったく偉いものだ。
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半世紀にわたる棋士人生を通して居飛車党を貫き、数々の定跡の発展に貢献してきた。また、棒銀を代表として良いと思った戦型はひたすら採用し続ける傾向にあり、勝率が高い流行りの戦法があっても自身の棋理を重視し、採用しないことが多かった。
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そして第24期竜王戦6組で2つ勝ち上がり、3回戦で船江恒平に負けて5組への昇級者決定戦に回る。他の棋戦ではすでに敗退していたため、この竜王戦が児玉にとって棋士人生最後の棋戦となった。そして、2011年8月10日に大石直嗣に敗れて引退となった。
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しかし、翌期は米長邦雄に棋聖のタイトルを奪われてしまう。結果的に、これが棋士人生で唯一のタイトル獲得歴となった。第13期から第17期まで、トッププロが名を連ねる十段リーグに連続在籍。
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本戦の対戦相手は順に、森下卓、井上慶太、米長邦雄、谷川浩司、森内俊之である。棋戦決勝進出でさえ、棋士人生23年で初めてであった。ちなみに、本戦では初戦から準決勝まで振り駒で先手番を引き当てた。
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タイトル経験者のこうした形での引退は、同年の有吉道夫のケースとともに初であった。そして、勝っても負けても引退日となる2010年4月20日の竜王戦5組残留決定戦で石田和雄を破って6組に降級させ、自身は6組降級の汚点を棋士人生に残すことなく、勝負師として最後の華を飾った。
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竜王戦も第2期から出場したものの最高記録は6組ランキング戦準決勝進出であった。プロ入り以来長らく公式戦の本戦に出場できずにいたものの、プロ入り23年目の第19期銀河戦 では、ブロック戦で最多勝ち抜き者に該当し、棋士人生で初めて決勝トーナメントに出場した。上述の経緯でフリークラスに降級してから10年間で、順位戦C級2組への復帰条件に相当する成績を修めることができず、2012年度の最終対局日をもって引退することが内定していた。
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その他にも、要所要所で見せ場を作っている。第19回全日本プロ将棋トーナメント1回戦では、後に初代永世竜王となる渡辺明に棋士人生初の黒星を喫させ、第61期順位戦・C級2組3回戦では、第30回将棋大賞・連勝賞を受賞した山崎隆之の連勝を16で止めた。その一方で、持ち時間が長い順位戦は不得手としており、C級2組で13年指したあいだ、指し分けを超える成績を収められず、第54期及び第64期で降級点を喫し、2006年にフリークラス宣言をした。
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