棋士
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上の世代の棋士は対局中につぶやいたり、歌を歌う等、相手を惑わせることを日常的に行ったが、二上は盤上での勝負にこだわり盤外戦を行わなかった。二上だけでなく戦後の棋士達はそうした行為をしない傾向があった。二上は詰将棋作家でもあり、処女作品集「将棋魔法陣」等を出版している。
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木谷はツケヒキではなく図白4のサガリを多用した。やや手がかかり過ぎと見られて、他の棋士はほとんど使用しなかった。「木谷定石」といった場合、この手段を指すことが多い。
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そのため、棋士軍はソフト軍が指す前に次の手がわかる局面があった。棋士軍の椅子の移動時間も考慮時間に含まれた。
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また、理論上は7まで行く前に本選シード32名分埋まってしまう可能性も考えられるが実際になったことはないのでこの場合どうするかは不明である。以前は永世称号を名乗る棋士にもシード権が与えられていた時期がある。先後の決定は全局振り駒で行う。
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この時には40名を越える棋士達が、疎開先各地から上京して参加した。同年秋期は牛込の河田町会館。
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本人と妻の生きざまに焦点を当てたNHKによるテレビ番組が、DVD化されている。棋士が技術伝授でないビデオに出演するのは極めて異例のことである。
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同年台湾に拠点を移して台湾棋院客員棋士四段となり、その後五段昇段。
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対局は各地で開催され、公開早碁で行われる。このため開催地の地元出身棋士には多大な声援が贈られるのも特徴の一つ。持ち時間は一人10分で、使い切ると1手30秒の秒読み。
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これは決定版とまで言われ、塚田以外の棋士は指さなくなってしまった。それでも指し続ける塚田は、早いうちに左側の端歩を突くなどの新たな工夫を加えて指していたが、1991年のA級順位戦対谷川戦において谷川が塚田スペシャル破りの絶妙手を繰り出し、塚田スペシャルの息の根を止めた。
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結果は156手でソフト軍が勝利した。ソフト軍、棋士軍ともに合議制によって棋力が上がったかは不明である。
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張自身は対局のあるときは日本で過ごしたので、日本にいる時間のほうが長かったのが、台湾にいる間は違う生活スタイルになった。台湾の棋士とも多数交流し、早碁も沢山打ちその中で自信をつけていった。その結果、やはり碁が好きだということを改めて思った時間になった。
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一次予選・二次予選・挑戦者決定リーグによって挑戦者を決定する。挑戦者は王将と七番勝負を戦い、先に4勝した棋士が新たな王将となる。持ち時間は、一次予選および二次予選が3時間、挑戦者決定リーグが4時間、王将戦七番勝負が2日制の8時間。
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十段位1期、王座位1期。井山裕太より年下で井山から七大タイトルを奪取した初の棋士でもある。
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江戸時代までは棋聖と呼ばれていたのは道策と本因坊丈和の2人であったが、明治以降から秀策の人気が高まり、丈和に代わって秀策が棋聖と呼ばれるようになった。名人になった事はないが、史上最強棋士の候補としてあげる声も多い。
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挑戦者決定までに予選・挑戦者決定トーナメント・敗者復活戦・挑戦者決定戦を行う。挑戦者は棋王と五番勝負を戦い、先に3勝した棋士が新たな棋王となる。予選から五番勝負までのすべての対局で、持ち時間は各4時間の1日制である。
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このうち、前回ベスト4の4名及びタイトル保持者はシード棋士となる。予選はシード棋士を除く全参加者により行われ、予選通過者を決定する。本戦トーナメントは予選通過者にシード棋士を加えた16名で行われる。
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それに対し島は駒を枠内の手前の線にピッタリ置く。駒音も静かであり、後に多くの若手棋士が島のスタイルに追随していった。中村修はNHK杯の解説で、「島さんの功績・功罪」と述べていた。
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五段以下でのタイトル獲得は史上初で一躍注目された。以後の低段位若手棋士のタイトル奪取の動きの先鞭をつけたものである。なお、最低段タイトルの記録は、9年後に郷田真隆によって破られるが、奇しくも同じく王位のタイトルである。
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また2014年時点まで唯一二段降段後にプロとなった棋士である。
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かつては、入段5年以下でかつ六段以下の棋士は全参加であった。
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竜王戦には奨励会員の出場枠もある。一般棋戦の中には全棋士が参加するものもあるが、出場条件が限られたものがある。将棋日本シリーズのプロ公式戦は選抜されたトップ棋士のみで行われる棋戦であり、新人王戦・YAMADAチャレンジ杯・加古川青流戦の3棋戦は若手棋士もしくは低段の棋士のみで行われる棋戦である。
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三段リーグ制度が復活する前に四段になった最後の棋士である。また、第22期新人王戦で、奨励会三段の時に出場し、途中で四段に昇段してそのまま優勝した。
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黒4のツギなら白5にヒラクが、黒4でaなら白は右上のサバキが容易であるので、左辺bなどに先着する。棋士の研究会やテレビの解説などで数々の新語を発し、碁界に広まった。長い説明を省いた略語が多い。
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木谷は新布石構想の他、いくつかの新手を打ち出している。現在も打たれる手もあるが、独特の感覚であるため他に真似する棋士が現れない手段も多い。ツケヒキ定石の後は上辺白5に堅くツグのが伝統的な手法であったが、木谷は下辺のようにカケツぐ手段を開発した。
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しかし専門棋士でこれを最初に試したのは、先の二世算哲であった。彼は当時の最強者・本因坊道策と対戦するにあたり、自らの天文学理論を応用して第一着を天元に打ち下ろした。
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また、5人とも順位戦A級とタイトル獲得を経験しており、藤井は史上最年少17歳11か月でタイトルを獲得している。上記の5人に続く記録として、16歳での四段昇段棋士を下記に挙げる。データから見ても、早熟な棋士は優秀な者が多い傾向にある。
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張栩、山下敬吾、高尾紳路らとともに「平成四天王」と称される。また棋士一家としても有名で、史上唯一七大タイトルを親子で獲得している。現在は父・泰正と同じ、愛知県長久手市在住。
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しかし、棋士間では「国際標準に合わせたい」ということもあって昼食休憩の廃止の意見があり、2022年4月1日より、日本棋院では持ち時間3時間以内の対局では昼休憩を廃止した。食事をしたい棋士は自身の持ち時間内で食べることになった。
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