板散華
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青森県出身の日本を代表する版画家棟方志功の作品には、贋作が多い。棟方の『板散華』の解説をしている小説家長部日出雄は次のように書いている。
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世にいう極道とは、いかに志功流の表現とはいっても、ちょっと大袈裟すぎるような気がしないでもない。また昭和十七年に出した最初の随筆集の題である『板散華』は、板懺悔とも読める。自己について語るさいに懺悔といい極道者というのは、大袈裟すぎるような気もするけれど、そこには幾分か本気のおもいも籠められていたのかも知れなかった。
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志功の随筆集は、この年の十一月に出版された。かれは生涯において、画家としては、ほかに例が少ないであろう、五十冊以上にも及ぶ沢山の著書と画集を出したが、そうした多産のひとつのきっかけとなったのが、この山口書店から出された処女随筆集の『板散華』であった。
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いわば自分自身にいい聞かせているその結果は、棟方流に咀嚼され消化された写楽や歌麿や北斎が、やがて作品のそこかしこに、活かされていくことになるのである。「板散華」という題は、そのころ壮烈な戦死のことをいった「散華」という言葉から発想されたもののようにもおもわれるが、随筆集の内容に、戦時色は殆どない。実際にはおそらく、声明の「唄散華」から考えつかれた題で、志功はその言葉を、厩橋の天台宗泉竜寺の住職である大照圓雄から聞いて知っていたのだろう。
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