日本語
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名詞
29,916 の例文
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すなわちクルと云い、コル、コロなどと云うものは、いずれも同一語で、所謂ウラルアルタイ語族通有の語であったらしく、アイヌにもそれが輸入されたものであろう。そして日本語においてもかつてそれに類似した語があったものの様である。我らは人類を数うるにヒトヒト、フタヒトなどとは言わずして、ヒトリ、フタリと云う。
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久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多くの学者は漢文書き下しによって、否、漢文そのものによって自己の思想を発表して来た。それは一面に純なる生きた日本語の発展を妨げたともいい得るであろう。しかし一面には我々の国語の自在性というものを考えることもできる。
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反対に古着などは、農家で捕虜へ差し入れる食べ物との交換に使った。日本語が分らないという理由で、防空訓練にも参加したことがなかった。宮城の方を向いて礼をしろといわれるのがいやで、市電を途中下車したことすらあった。
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かかる試みは芸術にとっては、まことに貴重である。この考えかたは日本語の空間的構成においてもまた可能と思われる。
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日本語も上手だった。しかし彼と話をしているうちに日本語が分らなくなると英語でしゃべった。そうして英語などで人としゃべったことのない彼を一寸黙らせた。
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たとえば日本語を習うには日本の生活を多少研究する必要があります。その方が理解が早いです。
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名前なんていうのさ?私が日本語を話すのを発見したときの子供たちの驚きようといったらなかった。私はひとりの小さな男の子に、学校でゲール語は習わないのかと聞いてみた。
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しかし、そのまま居れば居られるのに、後に続くべき魚も肉も放棄して帰ってしまう人とは、どんな価値観の持ち主なのだろうか?実を言うと私は、日本語の時間には、まことに堪え難い瞬間があるのだ。勿論それは、私が日本人であり、聞けば日本語が分かってしまう事実によるものであって、サウンド作りの巧拙以前の問題だ。
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若しこの場合、彼等すべてが英語を解し得るならば、それは彼等が我々の方面に向って進歩することを、非常に助けるであろう。英語を書くことを学んでいる者は、英語の方を日本語よりも佳しとする。彼等はすべて、英語の方が、より正確だといい、英語を教える、大学の予備校へ行っている少年達は、その方が容易な為に、好んでお互同志英語の手紙を書く。
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その中に、日本人を母として長崎で生れた張則民さんと云ふ支那青年がゐられた。張さんは採木公司の社員として勤務し、日本語で歌や詩を作る人である。
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だが、その段の内容と睨み合せた上で、音が適当の日本語にほぼ通じているために、これを日本語にこじつけうるのは、この部分だけである。同様の手段で他の段を日本語化する手がかりは完全にないのである。しかしながら、他の段が同様の手段で日本語にこじつけることができないから、これを日本語にこじつけるのは不適当だとは云えない。
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かやうな言葉は発明者の国籍に属するのが当然で、いはゞ文化を武器として戦ひとつた言葉である。ラジオを日本語に改めても、実力によつて戦ひとつたことにはならぬ。我々がラジオを発明すれば、当然日本語の言葉が出来上り、自然全世界が日本語で之を呼ぶであらうが、さもない限り仕方がない。
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師範学校で私は蝦夷の札幌から来た、教育のあるアイヌにあった。彼は典型的なアイヌの顔をしていて、日本語を流暢に話すことが出来る。私は彼に、アイヌに関するいくつかの質問をした。
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其れ等の思ひを遺憾なく云ひ現した日本語の歌があるかどうかと考へた。然し此れは歌ひにくい西洋の歌に失望するよりも更に深い失望を感ぜねばならぬ。
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姉妹はもちろんのこと、父親とても十四くらいで離れているのですから、まったくのユーゴ人になり切っているのです。いくらかでも日本語を忘れずにいたのが不思議なくらいでした。「ですから帰りたては、言葉をスッカリ忘れていたとみえて、とんちんかんなことばかりいって、日本人同士、言葉がわからなくて困ってるのが、日本語のわからないわたくしたちにも、随分おかしゅうございましたわ」 とその時のことを思い出したのでしょう、ジーナは声を立てて、ホホホホホホホと笑い出しました。
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尤もあれらは原曲が向うのものだからやむを得ないという口実もありましょうが、それにしても日本の詞の音楽を余りに無視したしかただと思っています。そこへ来ると宝塚の少女歌劇は立派に日本語を日本語として歌っています。
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それからまた、日本語になおす場合に、語法の相違から、動詞の過去を現在格にしたり、そのまま直訳するよりも、かえってピタと本質的にその意に合う日本語がある場合は、その無意味な直訳は避けた。その真精神にそむくばかりでなく、日本語としても生きないからである。それから、正直に「うまく返事をしてのけた」と訳したでは、かえってその本当の面目が出ない場合は「うまく返事をしてのきょか」というふうにしたのもある。
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