文盲者
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帝政ロシア時代から農村の生活がどんなひどいものだったかは、この文盲群にふくまれる農民の夥しい数でわかる。五千七十七万千九百九十七人という文盲者中実に、四千五百九十一万六百五十一人が農村居住者だった。国内戦を経て、勇ましい階級的闘士をウンと出した婦人の基本的文化も一般的に云えば低かった。
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それでも、一九二六年には五千七十七万千九百九十七人という尨大な文盲群がソヴェト同盟にあった。つまり、全人口に比べると、殆ど三人に一人当の文盲者という有様だった。帝政ロシア時代から農村の生活がどんなひどいものだったかは、この文盲群にふくまれる農民の夥しい数でわかる。
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しかし学齢を越えて国民教育を受けていない国民に対する補習教育に関しては、成文法により就学の義務が定められていない。現在台湾における中国語文盲者の大部分は老人である。
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おそらく反抗する気持がなくなったのだろう。文盲者や人間ぎらいのなかで暮らしているから、たぶんもっと高尚な人間に会っても、その価値を認めることはできないのだろう。右に怖い顔したむっつり屋のヒースクリフ氏、左におしのごときヘアトン、この二人と同席して、あまり愉快でない食事を終った僕は、早めにいとまを告げた。
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そこはホテルに働くものの為の休息室、食堂、職業組合のメストコム、党細胞で、一隅には赤布で飾った小図書部「赤い隅」がある。文盲者率の最も高い人民栄養労働者が彼らの文化革命と社会主義建設を達成すべき細胞である。廊下を通る日本女の空色ヤカンは「赤い隅」の赤い色をポッチリ鮮やかに映した。
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盲暦は、江戸時代に和暦の月の大小や暦注などを文盲者にも理解出来るように絵や記号等で工夫して表現した暦である。南部藩の南部盲暦が有名。
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悟性活動をするものが人間で、その悟性活動に感覚活動を根本的に置き代えるなどと云うことは絶対に赦さるべきことではない。或いは彼らの感覚的作物に対する貶称意味が感覚の外面的糊塗なるが故に感覚派の作物は無価値であると云うならば、それは要するに感覚の性質の何物なるかをさえ知らざる文盲者の計略的侮辱だと見ればよい。
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「日本にしか見られない精神と行動との麻痺の形」となっていたのだった。中国の知識人をふくむ全住民は、日本軍の侵略に抵抗して各地ではげしくたたかっていて、その「抗日救国」のビラやスローガンを通じて、中国のおびただしい文盲者さえ文字を知りはじめつつあった。このごろ、わたしはまたしばしば、かつて心に刻まれたフランス女学生の手記を思いおこす。
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しかし、これは大きな誤りである。かりに支那人が、鉄道建設、資源の開発とともに、名ばかりでない立派な国民政府、文盲者の教育等によって、その名に値する近代国家を作りあげ、本当に購買力が生じたら、その際、あの質素で勤勉で生産的な支那人が、どうして、八千マイルも離れたアメリカから商品を買うだろうか。彼らには特定の製品を除いては、自給自足する能力が生ずるのである。
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