所御霊
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このとき御霊神とされたのは、崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使、橘大夫、文大夫という6柱であった。ゆえに、これらを総称して六所御霊と呼ぶようになった。のちにはこれに藤原広嗣が加えられたというが、はっきりしない。
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貞観5年の御霊会においては六柱の御霊が祭られた。これは六所御霊 と呼ばれている。京都の上御霊神社と下御霊神社に祀られている。
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五條市の藤井家に蔵される長禄2年の「霊安寺御霊大明神略縁起私記」によると、『又奈良ノ南里ノ紀寺ノ天王ト申スモ、崇道天皇ニテマシマスナリ』とあり、怨霊を鎮めるために祀った御霊神社の一つである。南都八所御霊の一座として御霊会が行われる。「大乗院寺社雑事記」の応仁2年10月15日の条には、春日大社の末社であり本地は弥勒菩薩であると記されている。
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貞観5年5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この時に慰霊された御霊は崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使・橘逸勢・文屋宮田麿らの六所御霊であった。この御霊会が当社および下御霊神社の創祀であるとしている。
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京都の上御霊神社と下御霊神社に祀られている。六所御霊に2柱の神が追加され、伊予親王・観察使にかわって井上大皇后、他戸親王があてられている。また、牛頭天王を祀る八坂神社の祇園御霊会が、祇園祭として知られる。
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祭神は9世紀前半から民衆の間で広まり、貞観5年には公式の御霊会で祭られるようになった御霊信仰が元になっている。当初の御霊会で祭られたのは崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使、橘大夫、文大夫の六所御霊であった。後年追加された火雷神と吉備大臣の二神について、火雷神は菅原道真、吉備聖霊は吉備内親王、または伝承にある井上内親王が産んだ皇子とする説、さらに火雷神は落雷を司る雷精で、吉備聖霊は鬼魅であると解釈する説もある。
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