我田引水
82 の例文
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私はその箇所に鉛筆で線を引いた。我田引水の姿勢で読めば、この部分は大変納得のいくものであったから。私が物を書くようになったのは、病みあがりの時期に友人が出していた小冊子に〝現代経営者の孤独について〟という短文を発表したのが契機になっていた。
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この書物では『倭人伝』の文章が都合のいいような訳し方になったり、地名も無理した語呂合せに終っている。しかし、誰がこの四国の医師の我田引水を咎めることができるだろうか。大なり小なり昔からどの学者も同じ牽強附会をやって来ているのである。
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そしてそれは彼に文学者的素質があるかどうかということよりも、彼が文学を通して人間を見る眼を持っていたこと、ひいては彼の人間的成長の度合を示すものなのである。だから私は何も我田引水的に大杉を文学に結びつけようとしているのではない。また彼は青春の或る時期に作家志望だったということもなかったらしい。
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現在何々教育と銘を打ったものは、各々それを自負しているのであろう。しかしその中のあるものは我田引水の説かも知れない。例えば私にそれを聞かれたら、「本格的の科学教育である」と答えるような類のものもあるであろう。
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が、どちらにしろ、自分たち銘々に都合のいい、我田引水式の解釈だ。こういう僕自身も、以前はこれらの人々と同じような生活をしていたが、いまはもう、彼らとはちがう。
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このようにわたしたちの神々はたいてい稲から生まれている。日本人の基本的な行動様式に、「我田引水を嫌う」ということがあります。自分の田に勝手に水を引いてはいけない、そんなことをしたら、それこそ村八分です。
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関東軍はあの終局こそ最も不適当、屈辱的と考えている、と両者の論旨は食い違ったままになった。張鼓峰事件の解決を理想的とするのは、作戦課長の我田引水のきらいがある。ソ連がどう出るか叩いてみよう、まかり間違えば一個師団フイになるかもしれないが、漢口作戦を行おうとしている日本としては、ソ連が出て来ないことを確かめる、という稲田構想からはじまったことである。
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わたしはむしろ老年に有利ではないかと思うんです。わたしははじめから全部我田引水的な話ばかりしているわけですが、少なくもそういうふうに生かしていくことができるのではないか。欲望のサブリメーションそこでまた別の問題にうつりましょう。
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木下は当初、移庁論を積極的に推進したが、斯様な世論のすり替わりに対しては痛烈な批判をした。旧筑摩県全体ではなく、松本のみの都合を考えた「我田引水」とみたからである。彼の言論は反発を呼び、松本の民衆から石を持って故郷から追い出された。
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昔から、稲作農家では田んぼこそ私有地でも、労働力や農業用水は村人共通のものという暗黙の了解があった。だから、田植えのときには全員で力を貸しあったし、我田引水は軽蔑の対象となった。竹茂村では、もっと強く結の力が働いているような気がするね。
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コワコフスキの哲学理論に一貫している「無限豊穣の法則」を端的に言えば、たとえいかなる理論・教義であってもそれを信じ込んでいる者にとっては支持する論拠に事欠かない、ということである。人というのはある物事を妄信してしまうとなんでも我田引水に解釈してしまう傾向があることを指している。ポーランド第二共和国ラドム出身。
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かっこよさそうな職業、必ずしも楽ではないのだ。作家と同様にと書くと、我田引水となるか。約七時間半の飛行で、バンコックへ到着。
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むしろカミソリといわれる小村寿太郎に理詰めで談判したつもりでいる。彼でなくったって、ある目的だけを正当化しようと我田引水すると、たいていこういうことになる。ワイロを政治献金だとする現代政治家の怪論理を見るがいい。
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帰国早々の北里は、伝染病研究所創設の必要性を、直接、間接に、各界に説いて回った。ポストのない学者の、我田引水ではないか、とこれをみるならば、それは明らかにまちがいだ。統計的事実が、明白に示している。
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察するところ、黒田氏は地声の大きい人なのだろう。私もかなり大声のほうで、我田引水と言われるかもしれないが、大声礼讃論を雑誌に書いたこともあるし、講演でしゃべったこともある。大声の美点の第一は、嘘やごまかしが言いにくい、ということだ。
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たいてい土地のひとが、めいめい自分の土地のものにかぎるというのはこの理由によるのである。しかし、地方人は都会人のように、さまざまのものを体験していないから、勢い我田引水におちいる。あゆにしても、まつたけにしても、いろいろと経験してこれがいいということにならないと、ものの真価をつかむことはできないものだ。
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我田引水というか、そこで数字を『1』移動させる理由が、見つかりませんから。三十一日の『31』の、『3』と『1』との入れ替え、置換とは、わけが違います。
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或日、武将達が集って、建武中興で一番手柄のあった者は誰だろうと議論があった。各々我田引水の手柄話に熱を上げて居ると、正成は「それは菊池だろう」と言った。滅多に人をほめたことのない新田義貞も、此の一言には非常に感動したと云う。
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新しい形という意味がなんであるか、くわしい説明はやめて簡単に新しい形の生物学とだけ申しておきます。あるいは生物物理学といってもよろしいのでありますけれど、あまり物理という言葉を使いますと我田引水のように誤解されそうですから、それもやめます。生物学の発展にともなって、私たち人間の身体や頭の働き、神経の働きなどのしくみがこまかくわかってゆく。
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老倉については我田引水が過ぎるのかもしれないけれど、しかし幼なじみである彼女を論理だけで語るのは、僕には無理である。
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支那軍の一人々々は国民でなく英雄でなかつたのだ、我々の一兵はみな国民であり英雄である。それは我田引水の論でない。
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自分は中等教育というものについては自分でこれを受けて来たという以外になんらの経験もないものであるが、ただ年来大学その他専門学校で物理実験を授けて来た狭い経験から割出して自分だけの希望を述べてみたいと思う。勿論我田引水的のところもあろうが、ただこれも一つ参考として教育者の方々に見て頂けば大幸である。云うまでもなく、物理学で出逢う種々の方則等はある意味で非常に抽象的なものであって、吾人の眼前にある具体的な、ありのままの自然そのものに直接そっくり当て嵌められるようなものはほとんどないとも云われる。
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そこでは矛盾対立よりも全体的調和が目につくのでありまして、束洋思想に近いものが、感じられるのであります。以上はなはだ雑駁なお話をいたしましたが、それは要するに東洋に生まれた一人の物理学者の我田引水的な意見に過ぎなかったかも知れません。
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道州制の導入は、州都への一極集中という危険を妊んでいるため、州都や枠組みに関心が集まりやすく、州政府の機構や事業といった中身の論議が軽視される傾向が大きい。州都の位置は各地域の盛衰に直結するので、州都や枠組みで我田引水の如き主張が展開される例は珍しくない。また、枠組みの作り方も、地理や歴史を無視して、特定の大都市への一極集中を促す発想が多い。
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で、甚だ我田引水のようですが、特別の知識をもって秩序的に研究する人は格別、単にその年代が古いとか、世間にめずらしい品であるとか云うので、特殊の人形を珍重する人はほんとうの人形好きとは云われまいかと思われます。そういう意味で人形を愛するのは、単に一種の骨董癖に過ぎないので、古い硯を愛するのも、古い徳利を愛するのも、所詮は同じことになってしまいます。
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散々喋り倒して、結局言いたかったのはそれか!?どこまで我田引水なんだ!?
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何者か、とは、彼の声を聴かなかった神ではあるまいか。ちょっと我田引水の話になるが、わたしは、殺人というような犯罪の深淵を、もっとも深く考察したのは、小林秀雄ではないかと思う。小林は、『「白痴」について』といったドストエフスキー論で、ラスコーリニコフを「最新式の殺人者」と呼び、イエスのことを「一人の異様な死刑囚」と呼び、小林のエッセーでは、最新式の殺人者の背後から、この異様な死刑囚の声が聴こえてくる、といった仕組みになっている。
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「夢で逢えたら」は生前、セルフカバーのマスターテープの存在は家族にしか明かしておらず、死後、関係者がスタジオの整理をしている中、本人がないと言っていたセルフカバーのテープが次々発見されCD化されている。自身のラジオ番組で、自分の作品を特集する場合は「我田引水くんにお願いする」と言う様に別名を用いて大滝詠一として直接自分の作品を取り上げない演出をしていた。松任谷正隆曰く、今田耕司を1000倍暗くしたのが大滝詠一との事。
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