御霊
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名詞
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平安時代後期、前九年の役では、源義家の家臣、鎌倉権五郎景政が付近を平定して御霊の宮を造営し、鎮護を祈ったが災害が相次いだ為、この地の山中の霊石に神霊をうつして五穀豊穣を祈願した。この石が御霊櫃と呼ばれるようになったから名付けられたと伝えられる。幕末は戊辰戦争で会津藩が薩摩藩や長州藩らの官軍の進軍を防ぐ要衝の地となり、峠周辺には現在でも防塁の跡が残る。
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人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
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それを我々直系の子孫が、二重三重に結界を張って、大神の御霊を御山に封じ込めてきたのだ。そして、その御霊を解放するのは、年に一度の祭りのときだけだ。解放するといっても、御山からおろした御霊を村の中だけに封じ込めて、決して外には出さない。
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大和の三輪神社も拝殿だけで神殿がないのは、山そのものが幸魂奇魂の鎮まるところとして崇拝されているからだ。伊勢神宮の鏡もまたアマテラスオオミカミの御霊ということになっている。魂とは天の霊魂を指しているのだ。
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御霊の音が似ているために「五郎」の名を冠したものも多く見られ、鎌倉権五郎神社や鹿児島県大隅半島から宮崎県南部にみられる弥五郎どん祭りなどの例が挙げられる。全国にある五郎塚などと称する塚は、御霊塚の転訛であるとされている。これも御霊信仰の一つである。
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川島先生がああいうことになってからだって、もう、だいぶたっていますよ。犯人がいつまでもつかまらなければ、先生の御霊だってうかばれませんわ。
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だが稙家は、鬼の姿のまま立ち尽くしていた。御霊は去ったはずなのに、目を見開き口を半開きにしたまま微動だにしない。言継が連れ去ろうと手を取ると、腐り果てた巨木のようにばったりと倒れ伏した。
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自分が宿すことになる武の子供に大神の御霊が復活するという自分なりの解釈を。「つまり、こういうことか」 黙って聞いていた武は、眉を寄せ険しい表情になって言った。
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それは、加賀殿に生きながら御霊になっていただくために、ということか。啓一郎を遮り、舷洲は続ける。
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御霊は舌なめずりせんばかりの声で応じた。御霊の怨みは、もはや前の帝の罪に対してばかりではなかった。伊邪那美命以来封じられてきた、黄泉の国の御霊たちの声なき声を弁じたものだった。
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大神の御霊とやらが、この村を出たら、本当に暴れまくるのかどうか。
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一方勝元は義政の命令に従って援軍を出さなかっため、「弓矢の道」に背いたと激しい非難を受けた。御霊社は竹林に囲まれ、西には細川が流れ、南には相国寺の堀が位置した。義就側は釈迦堂から出兵して政長を攻撃した。
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「第一の復活にあずかる者」というのは、救われて、今キリストにあずかっており、やがて来る再臨を待ち望むキリスト者である。神の国は、今ここにあり、キリストはみことばと御霊を通して支配しておられる。しかし、この世においては、終わりの時まで、神の国とサタンの国との並行した発展がある。
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こうした漂着神以外にも、東京都府中市にある大國魂神社の三の宮の御輿は、かつては是政で多摩川の水中に沈められる、いわゆる水中渡御が行われていた。この他、矢口の渡しに伝わる新田義興の御霊伝説も広く知られている。
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その発言に見られる「あざける者」という表現では、何を嘲ったのかが明示されていないが、終末願望を嘲った可能性が指摘されている。また、彼らが「御霊を持たない者」とされるのは、その高慢さに原因がある。なお、17節から18節は、偽名書簡と見る者たちからは、使徒の死後の時代に書かれたことが読み取れるとされている。
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消え失せよ、おのれ恐ろしい地獄の使い魔め!お前の力がおよんだのは王の生身の体だけ、 王の御霊まで手に入れることはできない。とっとと消え失せよ!
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直会とは、葬儀でお世話になった神職、世話役などの労をねぎらうため、宴を開いてもてなすことである。これによって葬儀に関する儀式はすべて終え、これより後は、御霊祭として行なっていく。十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭、一年祭と続く。
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