容貌魁偉
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名詞
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それからのち二年の春、宗は小児を連れて済南の章丘へゆくと、路で胡服をきた一人の僧に逢った。僧は容貌魁偉ともいうべき人で、宗にむかって突然に訊いた。「おまえはこの子をどこから拾って来た」 「これはわたしの実の子です」と、宗は答えた。
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裴静慮の子として生まれた。容貌魁偉で群書を広く読み、弟の裴漢・裴尼とともに名を知られた。両親が早くに没し、裴寛が弟たちを撫育して兄弟愛に篤かったため、鄭孝穆は兄弟を高く評価した。
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「第18猟兵聯隊第37猟兵大隊、第一及び第三中隊壊乱」 「撤退したいとでも言うのか」 ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール・シュヴェーリン少将は答えた。まさに容貌魁偉という表現が似つかわしい大兵肥満の将軍であった。東方辺境領事随一の闘将として知られている。
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容貌魁偉であったため皇帝に推されたともいう。紅巾党の中核をなす韓山童・劉福通らに対し、西部に拠ったので西派紅巾軍と呼ばれた。
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「や、綺麗な娘ではないか」 「こいつはとんだ好い獲物だ」 「それ誰か引担いで行け」 盗賊共は大恭悦で娘を手籠めにしようとした。頭目と見えて四十年輩の容貌魁偉の武士がいたが、ニヤニヤ笑って眺めている。娘はヒーッと悲鳴を上げ、逃げようとして踠いたが、これは逃げられるものではない。
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容貌魁偉とは、このことをいうのだろう。とくに獅子鼻の座り具合いは見事だ。
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大正九年以来松竹にいて飛ぶ鳥落す勢い、彼にさからう者が撮影所内にひとりもいなかったというから凄い。写真でもおわかりだろうが容貌魁偉、大スタアの貫禄充分の猛優であったという。ところが松竹へ、日本映画史上初の大学出インテリ俳優、鈴木伝明が入社してきて情勢は変った。
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北魏の建遠将軍の楊禎と蓋氏のあいだの子として生まれた。成長すると容貌魁偉で、髭が美しく、身長は七尺八寸、武芸に優れた。
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西魏の朝廷は柔然との和親を望み、厙狄峙を使者として立てた。厙狄峙は容貌魁偉で、言葉がうまく、柔然の可汗はかれの言を重んじて、侵攻してこなくなった。厙狄峙は高邑県公に封ぜられた。
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毒殺説もあるが、真相は不明とされている。松洞は、何度か月性に会っているので、剣をかざし踊っている容貌魁偉の僧の姿がたちまち出来あがった。月性が持つその長剣は、玄瑞の兄玄機のものである。
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鐘馗のような形相で巨漢であったことからどこにおいても目立った。容貌魁偉で剛胆ながらもその性格は細心であった。
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この二つの黒法師は、黒法師っぷりとしてかえって調和がありました。田山白雲はすぐれて容貌魁偉であるのに、柳田平治は普通よりは小柄です。白雲の刀も普通よりは長いには長いが、身体には釣合っている。
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代々三条にいて、三条長尾家といわれている。この時俊景は四十五、体躯壮大で、容貌魁偉、武勇の名もまた高いのである。
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薛虎子の子として生まれた。容貌魁偉で、若くして有能で知られ、典客令として任用された。正光年間、洛陽県令を代行した。
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その中に一人、容貌魁偉にして、ももより下、両脚が切断されて無いという人物が混っていたそうだが、そういうはなしを貴公は聞いたことがないか。なんのためのひめたる団体葬儀であろうか。
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父が死去すると、後を嗣いだ。容貌魁偉で、才能と大度で当時に知られた。太尉参軍から、通直郎・中書侍郎となり、直閤将軍の号を加えられた。
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おまけに薄給の身で、貧相で、立身出世できようとは占師も言ってくれたことがない。といって、彼よりもずっとちんちくりんの、もっと容貌魁偉の、ぜんぜん無職の男だって、女についてはそれぞれの夢を見る。まあ三流品の女とはいつかは結ばれるだろうと考える。
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