好事家
251 の例文
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ただ私はああいう本はやはり好事家に回してやるのが一番だと思うんです。業界は今いい本がすっかり払底して、コミックやアダルトに頼って細々と暮らしている。
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賀茂真淵は神楽の前張を好事家が催馬楽と書いたことによるとしている。また、折口信夫は催馬楽は直接には、神楽歌の「前張」歌群を母胎として発生したものであるとしている。
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はじめて春卜にあった李聖麟であったが、手を握り膝をなでながらその出会いをおおいに喜んだ。その場には多くの好事家が集っており筆を執りあっての画会となっていた。春卜は野馬・山水・梅・芦雁図などを、李聖麟は梅月・福禄寿図などを即興で描き、互いの画を交換して長く保持しあうことを誓い合った。
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大井町あたりの小さな劇場で一部好事家を対象に上映されそうなタイトルだ。
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弄山はもっぱら外国風のものに関心が深く、阿蘭陀から渡来した書物から外国の動物や文様を写して、やきものの図柄にしたり、阿蘭陀文字を描いたりしたので、その作品は高貴な人々の間で評判になり、大層な人気であった。弄山の死後七十余年経った今でも、彼の作品を収集する好事家は少くない。もしも、奉行所で萬古焼にくわしい役人がいたら、或いは判ったかも知れない。
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場末の寄席を廻ってどうにか糊口を凌いでいたという。一部の好事家からは評判が良かったが、売れ出すのはもう少し先のことになる。この頃、「染物屋の若旦那」である宇野信夫の家によく出入りして世話になっていた。
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日本が近代化して以降でも野点はしばしば戸外で楽しむ行楽の様式として存続しており、花見や紅葉狩りのような行楽の一部として、または野点を主体として庭園から完全な野外に至るまで様々な場所で催されている。個人レベルでも、趣味の範疇で好事家が戸外で茶を点てる場合もある。抹茶を点てる場合でも、道具は基本的に茶碗と茶筅があればよく、あとは湯を沸かす鍋釜があれば事足りる。
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寺宝は刀に限らない。古器古董も埋れているとみて買い歩き、京の好事家に売って暮しを立てていたのである。
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ことわっておくが、私は稀覯本の蒐集家ではない。なんだ、好事家が珍しい本を手に入れて悦に入っているのか、などと思わないでいただきたい。私がこの本を手に入れておどろいたのは、それなりのわけがあるのだ。
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しかもその闇市場はどうやらソヴレムにあるらしいのだ。最近では西欧中の好事家が密かにソヴレムを訪れているという情報もあってだね。だが、その尻尾が捕まえられない。
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それが稲村ヶ崎の青黒い崖の上に建っているところはいかにも一つの偉観にちがいなかったが、それにしても運転手の小ばかにしたようなことばも無理ではなかった。私の目から見ても、そんな辺鄙なところまでわざわざ泊まりに行く好事家があろうとは思われないのである。
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SDK-80はテレタイプ端末を想定したデバッグモニタが付いており高機能であったが、必要とされるテレタイプは数十万円と高価であり、とても個人で所有するものではなかった。テレタイプを持たない一部の好事家が先走ってこれを購入し、後になってその点に気づいた例もあった。
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倅は苦笑していた。二月の初旬に偶然旨い伝手ができて、老人はこの幅を去る好事家に売った。老人は直に谷中へ行って、亡妻のために立派な石碑を誂えた。
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是でこそ深沈な研究と遍き同情との上に立脚して動揺の無い確かな最新の芸術が沸き出るのだと頷かれる。浮世絵の鑑賞許りで無く、いろんな方面に日本贔屓の好事家が多いらしい。或未亡人などは日本の物事と云へば何でも愛着して、同じ仲間の婦人と竹刀を執つて撃剣をしたり御経を読んだりなんかする相だ。
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ここにあるのは昭和二十八年度の展覧会にまさるとも劣らない完全なルオー回顧展で、その初期から晩年までのあらゆる見本が揃っている。好事家が、重箱の隅をせせるようにして面白がるといった類のものではない。ルオーの独自の主題というのは、初期の頃のサーカスや庶民たちを描いた陰惨な風俗から、晩年の聖書的風景にいたるまで、一貫した魂の呻きのような自己告白である。
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キクロペスの部屋から発見された紙片から思いついた作り話だ。もちろんあの首飾りを三万ドルで買おうとする好事家もいたろう。その仲介の労をとった女もいたろう。
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戦後は名古屋に住み喜代楽が1984年に亡くなる直前まで大須演芸場などに出演し活躍した。また東西通して戦前の漫才の寄席を知る数少ないコンビで好事家に人気があった。大阪、東京時代ほとんど端席や地方巡業が多く主要寄席にはほとんど出演しなかった。
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垂涎の的ですよ。好事家がもっとも大切にしているのは、品にまつわるゆかりです。
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法王は癇癪の持って行きどころがなく、其の聖書の巻尾に「若し信徒にして本聖典の誤植を指摘する者は破門せらる可し」という威し文句を附け加えたが、却って世間の物笑いの種になった。法王は後に此の版を廃棄したが、唯数冊が厄を逃れて世の好事家を悦ばせる事になった。後世此の聖書が目の玉の飛び出るような値で売買されたそうである。
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好事家が金貨をいくら積んでもほしがる、古くて価値のあるものがたくさん残っている。
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主な生産地は高知県、石川県、北海道で年間3000羽ほどである。鶏の約1億2千万羽に比べると一部好事家向け食材の域を出ない。食肉用に家禽化されたシチメンチョウの中で最も広く飼育されている品種である。
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又日本の粗末な器物や米醤油の様な食料品を売る家も巴里に幾軒かあるのを見受る。併し其等の好事家が何処まで深く日本を領解して居るかと想像すると甚だ怪しい。
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今回はそうした好事家たちがライバルになるわけか。
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ベアトの弟子の日下部金兵衛が発売した螺鈿細工や蒔絵を表紙に施した豪華なアルバムは、「横浜写真」と呼ばれ、有力な輸出商品となった。彼らの写真にはヌード写真もあり、日本人の好事家用のポルノ系ヌード写真もあった。明治9年、日本における最初の写真版権保護に関する立法が、写真条例として制定された。
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ドラキュラの出そうな洋館といっても決して広すぎず、かといって狭すぎず、見た目はなかなかおどろおどろしいが、中の居心地はよかった。これは榊原社長が注文して作らせたのではなく、北海道のさる好事家がいまから三十年ほど前に趣味で建てたのを買い取ったものだった。冬の到来は例年になく早く、トマムスキー場などがある占冠村一帯はすでに一面の銀世界になっているはずだが、向こうには洋館の管理を委託している年配夫婦がおり、榊原を通じて、安達の到着前には除雪から食料の準備まですべてを整えてくれることになっていたから便利だった。
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これは、ジェネレーターやギアボックスといった一部のコンポーネントをクランクシャフトと逆方向に回転させることによって部分的に解消することができる。ただしこれを縦置きの「味」であると考える好事家もいる。またオートバイは差動機構が不要なため、回転方向を90度変えるためのかさ歯車を採用する場合もある。
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が、も少し考へて見る必要がないであらうか。従来の我が国の好事家肌の学者の研究では、人形の歴史といふものが、比較的、時代の新しい処に限られてゐる様である。
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第二回の大調和展に出した「鷽」は野口米次郎さんの親類の人が買った。又後に出した「石榴」は京都の方の好事家が持っている訳だが、此などは後で一寸借りたいと思って面倒な思をした。手放して了えば、自分の作ったものでも自由にならないから、愛着のある作品を人手に渡すのは厭になる。
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