大盤振舞い
47 の例文
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同じくらいケチなのに「ビューティフルライフ」大当たりではないか。いや、彼女はきっと私の知らない所で大盤振舞いしているに違いない。それより何より、「ビューティフルライフ」と名を出した段階で、北〇さんの〇部分バレバレではないか。
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酔ったついでに飯盛女をよぶと四百文。そのほかを合して一日に千文もあったら大盤振舞いの旅ができる。当時の金の計算では四千文が一両。
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と、ひときわ大きな歓声があがった。何だかよくわからないが、周囲の反応からしてかなりの大盤振舞いのようである。ラッキーを引き当てた麗華も、思わぬ歓待にご機嫌斜めならぬ様子だ。
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また、法的に離婚のできぬ国の夫婦が、この船のなかで、つまり日本の法律により、やっと離婚でき、二人は大喜び。他の乗客たちに大盤振舞いをしたという例もあったそうだ。
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当時の座員にきいても、酒は強かったそうだが、まずビアホールに行き、生ビールで下地を作ってカフェーあたりを一軒、それに寿司屋あたり。座員を何人連れてったとして大盤振舞いをしたってたかが知れてる。映画スターとちがって待合に居続けしたりするわけでもないらしい。
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きみはおれの記憶を充分に呼び起こしてくれた。しかし、それで諸君が今からワインの大盤振舞いにありつけると思ったら、これは見当違いだ。
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啓子は三十ルピーをフロントマンに渡した。かなりの大盤振舞いだけれど、それだけの価値はあった。弘美と啓子はホテルのレストランに入り、ほぼ一週間ぶりのコーヒーを飲んだ。
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何事だと俺は思ったが、上級将校はこれを士気の鼓舞と称して、青年将校たちに酒を振舞っているのだ。どこからそんな金が出るのか、大盤振舞いである。そんな振舞い酒を北槻中尉もありがたく頂戴しているふうではなかった。
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それ以後口をつぐんでしまった。こうして社運を賭した大盤振舞いの旅行が終了したのだが、帰国後彼らの会社から発注書が届くことはなかった。社長は私に泣き出さんばかりに訴えた。
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二回ほど何か書いて使ったけど結局はただひたすら溜るだけで、こんなことはもうやめようと、ある日決断して、その溜った裏白の厚紙を、もったいないけど、 「バッ」 と捨てた。何か大盤振舞いするような気持だった。
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正午の太陽が照りつけている街道を、ときどき、老いぼれ馬に引かれた腰掛けつき四輪馬車がガタガタ揺れながら通った。仕事着を着て馬を御している男は、うらやましそうに横目で、軒なみの大盤振舞いを見てすぎる。建具屋の家では、午前の感動の名残りで、陽気なうちにも、どこか控え目なところがあった。
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大勢の弟子への容赦せぬ指導、金に糸目をつけぬ大盤振舞いなどを見ながら、子供心に、と、息をのむ日々を過ごした。常陸山の字引きに「蓄財」という字はなかった。
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さて彼らは、前にダマスでしたように、まずティグリス河に臨む屋敷を借りましたが、そこの眺望はすばらしく、教王の「歓楽御苑」と似た庭園がありました。二人はそこで並外れた豪勢な暮しをし、他に類のないような大盤振舞いをし、宴会を催しました。そしてひとたび客が飽きるまで飲み食いすると、その残りは貧しい人たちと修道僧に配らせました。
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これらの流行は文学の範囲をこえた影響をおこしていて、哲学者といわれる田辺元博士まできわめてジャーナリスティックな扱いで実存主義にふれるような傾向をよびおこしました。坂口安吾の文学は、毎月彼と関係のあるジャーナリストを呼んで大盤振舞いをするほど繁昌しています。田村泰次郎氏の肉体主義は彼にりっぱな邸宅を買わせたと新聞に出ました。
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コンクリートで固められた凹地に大小何種類も放し飼いにしてあった。妻は、三匹百円のサバをバケツ一杯買い込み、大盤振舞いした。プールのはずれに、小山のようなのが一匹うずくまっていた。
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それから何かいろいろ歌を唱って軍神マルスを寿ぎたたえ、程もなくみな寝込みました。するとさあ、私たちへも例の婆さんが新大麦をうんとこさ、しかも測りようもないくらい沢山振舞ってくれたもので、私の馬なんかはこんなに一杯な飼糧をそれこそ一人占めにして、大盤振舞いにあってるような気持がしたことでしょう。だが私は、なにしろ今まで細かく挽いて長いこと煮てかゆにしたのでなければ食べたことがないものですから、片隅に多勢の者がみんなで食い残したパンの寄せ集めてあるのを探り出して、長い間の飢えに、蜘蛛の巣でもかかってそうなあごを、思う存分したたかに働かせました。
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こっちは子供でそんな親父の商売の苦労は知りませんから、その晩土地の土工を呼んだ挨拶の大盤振舞いの席で、親父がそいつを懐に呑んで四角く大きく坐っているそばで、きれいな姐さんからキントンなんかを食べさせてもらってましたよ。
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日中は診察に追われ、簡単に昼食をすませていたが、彼はたいてい泊まり客のだれかれの一行と食事をともにし、山や湖に出かけて休暇を楽しもうとしている者たちには、いつでも道を教えたり、必要な情報を与えて助けてやっていた。やがてリングローズも医者を晩餐に招待し、大盤振舞いをしたあとで、散歩に誘ってみた。日中は非常に暑かったが、夜になって涼しくなり、庭や湖畔には蛍が飛んでいた。
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と、またしても例の男が、酒だの肉だののご馳走をはこんでくる。くどい話はぬきにして、武松がこの部屋に移ってきてから数日、くる日もくる日も美酒佳肴がはこびこまれてご馳走の大盤振舞い、殺害の気配などすこしも見られなかった。武松はどう考えてよいのかてんで見当もつかない。
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武兵衛は、鬼勘を侮蔑する戯れ唄を作って流行らせた。勘蔵が桜祭と称して近在の芸妓を集めると、武兵衛は紅葉祭というのをやり堅気の衆も加えて大盤振舞いをした。武兵衛が先代の法要に江戸から虎屋の職人を呼び寄せて饅頭を作らせると、勘蔵も負けじと江戸名物の浅草餅を取り寄せて藤岡中に配らせた。
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明白な支払い過剰である。江戸屋敷の費用節減は、毎年のように国元からきびしく談じ込まれていることなのに、少なくとも御納戸では、その方針に逆らって大盤振舞いとでも言うべき買物をしていることになるのだった。しかし実態はと言うと、藩主の身の周りでも屋敷奥でも、さほどぜいたくなかつ乱雑な物の買い方をしているわけではなかった。
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女がいくつもかかえている湯気の立つ巻き肉の盆を一つ取ってやりながら、ジャクソムは、双方の見解に、それぞれもっともなところはあるけれど、後程よく考えてみようと思った。鍛冶師ノ長の厨房では大盤振舞いの用意が整っていた。汁気たっぷりの巻き肉の他に、ほかほかの魚団子や山岳地方の硬い乾酪をはさんだ山盛りのパン、それにクラが大きなやかんに二つ。
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しかしこうなれば、帝国大学はしまいには世間から浮き上がってしまうかも分らない。しかも久保田が云うように、ほかの低い大学に帝国大学と同様な特権の大盤振舞いをし、それを私立にまで及ぼそうとすれば、帝国大学はその存立意義さえ失ってしまう。大学側はそれを恐れた。
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ただ、お願いしたいのは、貴下の部下を城外に留めておいていただきたいことです。なにしろ今夜、この都は六百年ぶりのお祭り騒ぎなので、市民の大盤振舞いが英国陸軍の規律をも台なしにしてしまいかねませんので、と。われわれはひそかに市庁舎に戻った。
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トランディムー星系は早くもいくつかの伝統を有している。それに、他星系からの大盤振舞いを加えてやろう。
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同音異義語の遊びの次には、直解主義の、とぼけた面白さがフルに利用される。これの大盤振舞いは、気違い茶会の中のやりとりである。
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これはご維新になってから、ご承知のとおり暦が変わりましたから、ただ今では新暦二月ですが旧暦ではたいがい十二月の月末で、豆をまいてから一夜明けて正月を迎えたものです。昔お大名方では裃をつけて豆をまき、お女中方が奪いあってひろったもので、町人でも年男を選んで豆をまかせ、その日はどこでもにぎやかで、大年越しと申しておせちを煮て御酒を出し、大盤振舞いをしたものでございます。さて豆まきの当日は門口へひいらぎと赤いわしを挿します。
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富山にいる時は、人にたかり又くすね、小遣の乏しかったせいもあるけれど、およそ弟にしろ親友にしろ、おごった覚えはないのに、いや京都にいても、かつかつの暮しなのだが、冬のさなかに布団を質にかつぎこんでまで大盤振舞いしたのは、やはり都会へ出た田舎者の背伸びか。根が小心の故か。
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