囲繞せる
13 の例文
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児玉に陪席する高官らは、石本逓信次官、松永中将、山根少将らの官吏と軍人、そして、そのまわりに芸妓がはべっていた。「芸妓給姉に囲繞せられ」 と『鉄道時報』はそのようすを報じている。御園座内には、臨時の郵便局も開設された。
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ユーゴの銅山王マルコヴィッチの孫娘と呼ばれて、二人とも生まれて世の中の不自由というものを、何にも知らずに育ってきたというのです。ただ、どんなに多くの召使に囲繞せられても、母のない身の淋しさだけが、いわば唯一の淋しさだったということができましょう。祖父も言葉を尽して再婚を勧めましたが、父親は違った母を持たせては子供たちが可哀そうだと、何としても再び結婚しようとはせず、大恩受けた祖父のために身を粉にして、その事業を助けてきました。
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その地、山に踞し湾に枕し、風景すこぶる佳なり。市街を囲繞せる城壁今なお存し、四方に城門ありてこれより出入す。城内には壮大の寺院数個、いずれも老若男女群れを成す。
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何となれば桂伯を政府の代表者とせば、若し又た伊藤侯を帝国の代表者とせば、大隈伯は人民の代表者といふべき模範的人物なればなり。伯は憲政本党の首領なり、現内閣に対しては当面の政敵たると共に、民間に於ても固より多数の反対党に依て囲繞せらる。而も其統率せる政党は、未だ議会の過半数をも占むる能はざるを以て、此の点よりいへば、伯を称して人民の代表者と為すべからざるに似たり。
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これでは、子供の父親、すなわち長者が、スディンナカランタカブッタであるように誤解されるぞ。で、そのスディンナがだ、たまたま大衆に囲繞せられて坐し、説法したまえる世尊にお会いしたというわけなんだ。会わなければ、問題はなかったんだ、なまじ、世尊になんぞお目にかかっちまったから、タダですまなくなったんだ。
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明治四十年頃からの漱石氏はますます創作に油が乗って来て、その門下に集まって来た三重吉、豊隆、草平、臼川その他の人々に囲繞せられて文壇に於ける陣容も整うて来た事になった。その時に当って朝日新聞から社員として傭聘するという話が始まって、遂に氏は意を決して大学講師の職を辞して新聞社員として立つ事になった。
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今この寺にて金堂と称するものは、その位置、構造、規模などより考ふるに、決して最初の金堂にはあらずして、わづかに残存せる一棟、たとへば食堂などにてありしが如し。また今の金堂にて、本尊薬師如来を囲繞せる十二神将は、本尊よりも古き様式を持つのみならず、廃滅せる岩淵寺より移入せりといふ伝説あり。しかるにこの寺の別堂に近頃まで安置せる「香薬師」の立像は、その様式、これ等の神将群よりも更に古し。
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人為の教育とは、家にありては父母の教育、家を出でては朋友の教育、学校の教育これなり。天然の教育とは、天候地勢、山川草木等、我人の体外に囲繞せる諸象、およびこれより生ずるところの万変万化、自然に我人の精神思想、性質気風を感動薫化するこれなり。しかしてこの天然の形情を、画に文に詩に音楽に彫刻に現示して人を感動薫化するは、いわゆる天然と人為とを合したる教育なり。
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しかして、その精神を一定するの法は教育によらざるべからず。そのいわゆる教育は、ひとり学校の教育をいうにあらず、ひとり知力の教育を指すにあらず、社会百般の事々物々、政治、宗教、人情、風俗より天文、地理、気候、地味にいたるまで、いやしくもわが体外に囲繞せる万象万化、みなことごとくわれを教育して一時も休まざるものなり。ゆえに、人もしこの種の教育法を講ぜんと欲せば、事々物々について、そのわが精神上に及ぼすところの影響、結果を考えざるべからず。
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測量標の直ぐ下は、野宿に適当な広い平地があって、それから凄まじいほど、垂直の断崖を作している、その下が雪田で、雪解の水は大樺の谷、それから小樺の谷へと、落ちているらしいが、そこまでは解らない。ともかく北岳というところは、北は駒ヶ岳、北西は仙丈岳、西は木曾山脈、南が間の岳、農鳥、北東が地蔵岳鳳凰山などと、高度我に下りながらも、ほぼ等しい大山岳圏に囲繞せられているから、北アルプスの高山で見るような、広々とした眺望は獲られない。この白峰山脈縦断旅行も、これでおしまいになるのかと思うと、嬉しいような、気抜けがしたような、勝利の悲哀といったような、情ない心持が身に沁み泌みと味われて来る。
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絶佳明媚の山水、粉壁朱欄燦然たる宮闕の中、壮麗なる古代の装飾に囲繞せられて、フランドル画中の婦女は皆脂肪ぎりて肌白く血液に満ちて色赤く、おのが身の強健に堪へざる如く汗かけり。これらの婦女は恣にその淫情を解放して意気揚々いささかの羞る色だもなし。
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商工省に十五年間つとめ、その後、内大臣秘書官長、宗秩寮総裁、さらに文相、厚相、内相を歴任した木戸なら「宮中のことも相当知っており、最近の政治の事情にも精通している」からまず常侍輔弼の適任者と見られる。「もっとも、枢府に近衛あり、内大臣に木戸」ということで、「側近が華族的華族により囲繞せらるゝ」〈『湯浅倉平』416〉という批判は当然あるが、これも木戸のくだけた「野武士」的性格により緩和されるだろう、という者もいた。ところで木戸内大臣を一番歓迎したのは、陸軍だったようだ。
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