四面楚歌
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名詞
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証人は大勢います。先生は、自分では気づいていなかったが、すでに四面楚歌だったんです。自業自得といったら酷ですが、丸裸だったんです。
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「四面楚歌とはこのことか」 光秀は湖の向うを眺めやってつぶやいた。その東から、精強をもって鳴る武田軍団の馬蹄の音が近づいているのだ。
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室町将軍足利義昭は信長と完全敵対し、それに呼応した朝倉、浅井、本願寺、近江の土豪と河内の三好義継、大和の松永久秀が同盟して織田家を裏切っていた。京を維持しようとしていた信長にとって、四面楚歌の状況であった。そんな時、京で室町将軍と対決していた信長は、吉田神社の神官吉田兼和を知恩院に呼んだのである。
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この際、美也子の顔を見たことが、どんなに私を力づけてくれたかわからない。私はこれから、いよいよ四面楚歌の取り調べをうけなければならないのだ。警部や金田一耕助は、いちいち私の言葉に疑いを持つだろう。
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また同年彼の兄弟が死去、彼は躁鬱に苦しむ事になる。このような四面楚歌の状態を克服し、彼は新たなポジションを考案する。今度は腕をまっすぐ前方に伸ばすポジションを考案、再び1994年4月27日にアワーレコードを奪取した。
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四面楚歌にしていったのは、むしろ、|※子のほうであったのかもしれない。身心病む男 当時、伊藤家に、ふたりの少女がいた。
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押川は松倉にも働きかけたが、富田氏の報を待つといわれ、松倉は押川の求めに応じていない。押川は仙台においては四面楚歌の状態で、とにかく一致してやりたいと主張した。この席で、新島は先の富田の提案通りの「予ハ発起人ノ地位ニ立タス、又主人ノ場合ニ立入ラス成ル可ク丈ケ仙台人ニ譲リ予ハ招待ヲ受ケタル客人トナルノ意ヲ押川兄ニ陳シタリ」の発言をした。
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連合艦隊は陸軍の入ったその正面砲台、東岸・西岸砲台と協力し、まだ抵抗する劉公島の四砲台および日島砲台との間に激しい砲火を交わしはじめた。劉公島と日島が沈黙したならば、北洋水師は四面楚歌となってしまう。丁汝昌も状況の激変に気づき、劉歩蟾を艦長とする「定遠」をふたたび両島の間へすすめてこの砲戦にくわわった。
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警察も信用できないのであるから、まさに四面楚歌である。「久連山さん、どうしたらいいだろう」 万波は、すがるように唯一の味方の顔を見た。
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結果は昭夫との大喧嘩になり、「やめてくれよ」という謙一の仲裁で、独り二階へ戻らなければならなかった。四面楚歌のその状態は、日曜日の朝になっても変わらなかった。久しぶりに服を着てホールに降りた拓也は、つとめて日常的な態度で、「どこか遊びに行かないか」と言った。
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少しだけ解れた。五里霧中、四面楚歌の状況に変わりはないが、糸口だけは幾つか見えて来た。
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どうしてそんなに変わったのか、私にはその理由がどうしてもわからなかった。四面楚歌のこの村で、美也子は私のただひとりの味方なのだ。その美也子が急につめたくなったので、私はどんなに心細く思っていたことか。
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北条家がもし信玄公のこの世におわさぬことを知ったら、波のつたわるがごとく、徳川も知る、織田も知る。武田家が四面楚歌の状態におちいることは火を見るよりもあきらかなことである。やはり影武者をもって謁見せられ、もし御息女がなお近づこうとなされたら、勝頼さまのおんあしらいをもって、何とぞしてそれを隔て申しあげたい、というのが、真田、高坂らの切々たる苦略であった。
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四面楚歌の義仲は平氏に和睦の使者を送ったが、平氏はこれを拒否している。京奪還を目指して即時上洛を訴える知盛と、それを押し止める宗盛とで口論に及んだという。
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結果は知れている。山陽鉄道の場合と同じで四面楚歌に耐えられず、すぐに投げ出してしまうだろうよ。
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まして東に北条、一敗は喫しても猛気盛んな武田、北陸の雄上杉が反信長を標榜し、足許の畿内に石山本願寺が余喘を保つ。信長の四面楚歌の状況は依然変っていないのである。この状況下で、新たに毛利に戦を仕掛けるのは、無謀の譏りを免れない。
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広さんのためにパン粉の調達に奔走する猛造だったが自分の店に帰ってみると売り上げはゼロ。尾坂からも今の状態が続けばあと10日で倒産すると告げられまさに四面楚歌だった。富子は広さんに進駐軍の倉庫ならパン粉が売るほどあるはずなので泥棒に入る事を勧められ困惑する。
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