博覧強記
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名詞
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十二支などをそらんじているのは、まず戦前の生れであることは確実である。ところで理由の第二、私は蛇の専門家でもないし博覧強記の知識人でもない。雑学者とまでもいかない。
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また学究肌で歌舞伎の知識も豊富な博覧強記な人物としても知られた。
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学歴の無い日置にとって旧制中学校卒業同等資格とされた専検に独学で合格したことは自身の独学の方法が正しい事を証明することになり、励みになった。日置は博覧強記であり多くの著作物はすべて彼の独学によるものである。代表作に『国史大年表』全9巻がある。
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博覧強記といわれるほど的確な情報を大臣答弁で流すことで知られていた。
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そんなことまで知っているヒースクリフの博覧強記ぶりに対してだ。ギルドマスターというのはそこまで勉強しなきゃ務まらないのか、と思いかけたが、脳裏に某カタナ使いの無精ひげ面が浮かび即座に否定する。
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本人曰く、「昌平黌の考試を受けるお侍さん並に本を読んだ」と豪語するだけあって、この三日間でリンネが読破した冊数は二百冊を越える。いくら博覧強記の時載りと言っても、一日平均七十冊は尋常な数字じゃない。ママさんも驚くハードな『山ごもり』を経て、今やリンネの華奢な身体の中には世界中の時計店を倒産に追いやるだけのストックが充ち満ちていた。
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英語は苦手という話であったが、訪米の際にも見事な発音の英語の司会ぶりで周囲が驚いたほどである。有馬朗人氏をして「茂吉好きな博覧強記の人」と言わしめた所以である。
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そして、自分が後見人になっていそぎ、第十五代にふさわしき人物を捜しはじめた。むろん、名門の出で博覧強記の人であることに越したことはない。
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この日も水野明善がいっしょで、彼はもう、天武帝や持統帝なども何度かそこを越えたといわれる芋峠に、さいぜんから感動しっぱなしだった。私たちのあいだでは博覧強記で知られている彼も、その芋峠ははじめてだったのである。そして私たちは、眼下のその山々のなかに没するようにして、急坂を下って吉野へとはいって行ったのだったが、この吉野行きももとはといえば、飛鳥坐神社の飛鳥弘訓氏に教えられたことがあったからである。
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語呂合わせや駄洒落など言葉遊びへの関心と、博覧強記を特徴とする。作品の題名や文中に言葉遊びを大量に盛りこみ、『トラのトリオのトラウマトロジー』では言語実験や口語表現を取り入れた。
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本業は「キネマ旬報」系の映画批評家。博覧強記、潔癖すぎると思われるほど自説を枉げないことで知られていた。天皇の動物学のお相手をしていた内田享博士は実兄。
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「モリエールのものとされている作品のほとんどは、実はピエール・コルネイユの作品であり、モリエールは単に名義を貸しただけに過ぎない」というのがこの説の概要である。ルイスは詩人として広く世に知られていたが、同時に博覧強記の文献学者でもあった。研究者としての彼は初め、古代ギリシアをその対象としていたが、後半生の関心はフランス古典主義文学に移っていた。
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兗州山陽郡高平県の出身。若い頃から学問を好み、博覧強記で文章に優れていた。二十歳過ぎの頃から青州・徐州・并州・冀州を遊学した。
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伝統的な漢籍のみならず、ヨーロッパ諸語で書かれた文献にも明るい博覧強記の研究者である。日本を代表する東洋学者の一人として国際的に著名であり、内外に幅広い人脈を有している。
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馬琴は博覧強記を称されもすれば自ら任じもした。殊に歴史地理の考証については該博精透なる尋究を以て聞えていた。
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ライブニッツは博覧強記の点において古今その比を見ない人と言ってよかろう。ギボンは彼を評して「世界併呑の鴻図を懐き偉業未だ成らずして中道にして崩じたる古代の英主の如し」といっておる。
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しかもぼくはみかけによらず博覧強記の型に属していた。というのも、ぼくはどんなことでも理解する大脳皮質をもっていたからである。
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