勧善懲悪主義
5 の例文
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これは何も黄表紙だの洒落本だのの作者ばかりではない。僕は曲亭馬琴さへも彼の勧善懲悪主義を信じてゐなかつたと思つてゐる。馬琴は或は信じようと努力してはゐたかも知れない。
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かういふ批評家は、馬琴を読んで、その勧善懲悪主義に感心するのと同じである。馬琴の作中に勧懲的批判が露骨に現はれてゐるところを見ると、思想ありとして感奮するのと心理状態が同じである。
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昨日の一件である程度予感はしていたが、勧善懲悪主義で、彼が「良からぬこと」と判断したら即決でその対象と戦う姿勢を示す。それで今まで早のみこみも多々あったらしく、そのたび反省するのだが、悪事を見かければ頭にカーッと血が上り、前後の見境なく飛び出してしまう癖は未だに治っていないという。
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時代はこのように一年一年と推移して、文学の面でも人間らしく生きようとする民衆の意欲が主張され明治以来の既成文学の本質が見直されはじめた。明治十九年に発表された坪内逍遙の「小説神髄」は十九世紀以後イギリスのリアリズムの流れを日本につたえ、馬琴の小説などが封建的なものの考えかたの典型としてその文学に示した非人間的な勧善懲悪主義を否定した。現実は、支配者にとって好都合な善と支配者にとって不都合な悪とに分けて見ることも考えることも出来ないものである。
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馬琴を論ずるもの、徒らに勧善懲悪を以て彼を責むるを知つて、彼の哲学的観念の酬報説に論入せざる、評家の為に惜まざるを得ず。勧善懲悪主義は支那思想より入り来りたる小説の大本の主義なれば、馬琴と雖是に感染せざるを得ざるは勢の然らしむる所なるが、馬琴の中には別に勧懲主義排斥論をして浸犯するを得ざらしむるものゝ存するあるなり。父義実の一言を誤らざらんとて、一身の破滅を甘んずるは、シバルリイの極めて美はしき玉なり、而して其の是を実行するに至りては、海潮の干満整然として、理法の円満を描くに似たり。
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