切歯扼腕
91 の例文
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ますます、病状が悪化し、手おくれになることは目に見えている。心ある精神科医が全国で、切歯扼腕している姿が目に見えるようである。人権、人権と騒げばカッコいいという風潮が世に満ちている。
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金田一耕助は切歯扼腕する思いで、このはてしなき追跡をつづけている。だが、とつぜん金田一耕助の行く手に当たって幸運が訪れた。
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御公儀の御仕置きがどれほど無道で公平を欠いていたか?人々は、飽くことなく同じ話に耳を傾け、その度毎に切歯扼腕した。話は、人の口から口へ語りつがれる間に幾分の誇張を免れることは出来ない。
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むこうから、お好み焼を食べに行こうと誘われてしまう。鋭意努力中の紳士にしてみれば、切歯扼腕するくらいのモテぶりと言うべきだろう。私はその横に何もわかんない、という顔をしてくっついていて、いろいろな意味で得をした。
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切歯扼腕しながら戦況を眺めていたので、武彦は戦いたくて身体中が唸っていた。「一人も逃すな」 武彦が走ると兵たちが喚声をあげて続いた。
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彼の今までの人生におよそ無縁な、そして、その瞬間まで思いもつかなかった言葉だ。オレの人生が割りきれたら、と今までどんなに切歯扼腕したか知れやしない。一瞬間に、突然別世界へ走りこんでいたのだ。
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目や口の動かし方も、すべてを信じ、殉教してまでもすべてを堪え忍ぼうと覚悟した絶対的信仰を示すものではなかった。この種のことでは最も野卑な百姓どもに先を越されているのを見て、ジュリアンは切歯扼腕した。しかし彼らが物を考えるような様子をしていなかったのも、当然そうあるべき理由があってのことだったのだ。
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いかに激しくコサックの軍勢が憤ったことであろう!いかに彼ら一同が切歯扼腕したことであろう!そしてまた自分の廠舎隊の人員のすぐれた半数が殲滅したことを知った時、いかに廠舎隊長ククベンコが憤怒に胸を煮えたぎらせたことであろう!
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その諸藩兵はしかし戦意なく、大垣藩のごとき、あのように滑稽で哀れな書面をとどけて来たくらいで、その後われわれは北方へ道を避けたものの、まだ平野のうちのことですから、追撃して来ようと思えばできたものを、ただじっとわだかまっているばかりでした。思うに、その中で彦根侍だけは切歯扼腕して、先廻りの行動に出たものと見える。しかし、それが、わずか二十余人とは?
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「今度はきっとつかまえてやろう」 浜蔵は家の中にもどっても切歯扼腕した。窓や羽目板、襖などがこわされていて、石投げのすごさを物語っている。
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振り向いた瞬間に、白い奴に対して直撃が与えられたかも知れないという確信にシャアは切歯扼腕した。最後の一撃分は、帰還する直前まで残しておくのは、セオリーなのだが、あの白いモビルスーツの人間ごとき顔を見た時、シャアは引き金を引きすぎたようだった。
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ムヴィロもフォン・ホルストと同じように、自分たちがいまどこにいるのか、キャンプがどの方角にあるのか、見当がつかずにいた。ムヴィロや部下の戦士たちは、ワジリ族ともあろうものが森のなかで道に迷うなどということがあろうとは、と切歯扼腕していた。フォン・ホルストとムヴィロたちが話し合ってみると、あのとき別れ別れになってから、どうやら、おたがいに逆の方角へ大きな円を描きながら進んできたらしい。
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そして三十九年の東京オリンピック無差別級決勝でも、日本代表の神永昭夫が体落しをかけて来るところを返して寝技にもちこみ、首をがっしりとかかえた袈裟固めに破って優勝している。ヘーシンクに歯の立つ人間が一人もいないことを思い知らされ、日本の柔道ファンたちは切歯扼腕したものだ。それは、当時分校に一緒につとめていた紺野もわたしも同じである。
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この男には翌年の秋に、フットボール競技場で、どうした風の吹き回しか、隣り合わせの席に坐ったことがあった。ところが、彼はその時、目も覚めるような美人の姉と一緒に見に来ていて、「しまった」と切歯扼腕したことを覚えている。また、ある学生は、私の研究室にやって来て、BをAに変更してくれと言って聞かない。
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その作品は「宝石」昭和二十二年新年号に掲載されたから、書いたのは二十一年すなわち敗戦の翌年のことであったろう。その前年、日本に降伏あるを知らず、と切歯扼腕したくせに、翌年はもう勝手のわからぬ探偵小説など書きはじめているのだから、悲憤慷慨もあてにはならない。とにかくその結果、その後十年ほど探偵小説を書いて暮すことになったのだが、それはこの当選のせいというより、これを縁にお近づきになった乱歩先生の、探偵小説に対する巨大な情熱に同化されたからである。
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逆に物見の報告により、小早川軍を先頭に数万の軍勢が佐和山城を目指していることを知らされた。正澄親子は切歯扼腕しながらも、仕方なく兵を佐和山城に戻さざるを得なかった。その日の夕刻には、家康の本陣が彦根の平山に置かれた。
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朝廷の儀式だけは抜かりなく施行せよというのが、信長の真意であった。この誓約書に袖印を押しながら、おそらく、義昭は、切歯扼腕したに相違ない。将軍義昭の近臣明智光秀も、信長の京都奉行として、微妙な立場に立たせられたのである。
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