人格陶冶
14 の例文
(0.01 秒)
-
教育問題なども評論している。晶子は「女性が自分で自己鍛錬・自己修養し、人格陶冶すること」を説いた。これは英米思想的な個人主義である。
...
-
もとより「利潤優先」という資本主義の基本原理を考えた場合、年功序列や終身雇用が徹底を欠くのは当然である。がしかし、日本的経営とは、年功序列や終身雇用に象徴される経営形態をいうのではなく、長期雇用がもたらしうる人格陶冶と年功評価をいっていたはずだ。多くの人間が長く組織にかかわることで、若輩者が鍛えられ、功労者がいたわられてゆくシステムこそが日本的経営なのである。
...
-
また、彼は国際連盟事務次長になった。新島襄は渡米して神学を学び、京都に同志社英学校を設立してキリスト教による人格陶冶に従事した。日清・日露戦争期には、日本が産業革命を通じて資本化に成功するとともに資本主義に対抗する社会主義が広がっていた。
...
-
長谷川は浄土宗の大僧正であり、学校を創立する際、根本の教育理念を「感恩奉仕」という言葉で表し、校訓となっている。大乗仏教精神に基づく人格陶冶を目指している。
...
-
また見つけた場合は即刻グラウンドから退場を命じた。北島がラグビーを通じて目指したものは人格陶冶、社会に恥じない人間を育てることであった。それを示す例として、ラグビー部寮が火災で焼失した際、「家は建てられるが部を再建することは困難である」と新宿の自宅を売って再建したという。
...
-
-
それは詩経の衞風篇に出ている「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」という一句であった。彼は、これまでこの句を、工匠が象牙や玉を刻む時の労苦にたとえて、人格陶冶の苦心を謡ったものだと解していた。むろんその解釈が誤っているというのではない。
...
-
不断の努力によって3の状態にまで高めることを、人格陶冶、人間形成、教養と言う。この段階において、人格主義は教養主義につながる。
...
-
社会学者であり教育者である遠藤隆吉が私財を投じて1910年5月、私塾「巣園学舎」を設立。「硬教育」による英才教育を唱え、文武の鍛錬と人格陶冶を実践する教育の場とした。
...
-
ひとつには、会社が「人物」を失う可能性が高くなるということだ。どういうことかというと、「成果主義」の徹底は長期雇用がもたらす社内での人格陶冶を放棄することにつながるため「人物」が育ちにくく、長い目で見れば大きな不安定要因を内部に抱えこむことになる。いまひとつは、「成果主義」を徹底した場合、一度達成された成果はそれが水準と見なされ、より高い目標を次から次へと要求されることになるため、過度の心理的圧迫を誘発することになる。
...
-
歴史や哲学に関する著作がある。その主著は応用倫理学や人格陶冶に関する書物であり、イスラーム思想の中で倫理学に関する最古の論文である。
...
-
いずれも、自己の状態を不断の努力によって高めて、まったき状態にまでもっていくことはナンセンスであり、最も尊い、意味ある行為、価値は別にある、との考えに立っている。人格主義に伴う理論的問題としては、あるべき人格の具体化、人格陶冶の曖昧性の克服、人格主義と個人主義の違いと関係、人格主義からの社会問題への対処法などがある。古代哲学において最初に人格を発見、意識したのはソクラテスであると言われている。
...
-
その思想は哲学分野では理想主義、人格主義、教養主義であった。河合は教養主義者として、学外では『学生叢書』『教養文献解説』を編集発行し、『学生に与う』を著し、学内では社会科学古典研究会を主催して、人格陶冶と教養の意義を説いた。河合は社会思想を、現実社会に対する保守、改良、変革などの態度とし、そのために現実社会の科学的分析と、どのような社会が望ましいのかの社会哲学とが必要であるとした。
...
-
宮廷文化において、その社交の場において、体験ではなくフィクションを歌う歌やロマンの中に設定されている、一種の「暗黙の前提」「約束事」としての、高位の貴婦人に対する騎士の恋愛奉仕を指している。奉仕に対する報酬としては、アルブレヒト・フォン・ヨーハンスドルフの歌で、婦人が報酬を切望する相手に答える、「優れた人となり、高潔な心を持」つ、というような「道徳的浄化」「社会的向上」「騎士道的自己完成」「人格陶冶」の要素があった。ドイツのミンネザングにおいて重要なテーマとなる「高いミンネ」は、宮廷恋愛が肉体性を失い、精神性のほうへ一極化してしまった結果のものであり、「高いミンネ」を歌った最高の詩人は「ウィーン宮廷の桂冠詩人」ラインマル・フォン・ハーゲナウである。
...