両国の緩衝地帯
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この宣言では、タイはイギリス・フランス両国の緩衝地帯として残すことが定められた。
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さらに前線でアルゼンチン兵と行動を共にした帰還兵や、戦場で黒人と共に戦った軍人により、共和制思想や奴隷制廃止が大きく喧伝されるようになった。また、パラグアイ戦争は、ブラジルとアルゼンチンに両国の緩衝地帯の必要性を理解させることになった。
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アルメニアの没落後、勢力を回復したパルティアはローマと軍事力で拮抗するようになった。そして、アルメニアはパルミラとともに、パルティア=ローマ両国の緩衝地帯としてのみ存在を許された。その後数十年の間、アルメニアの君主は両大国が交互に指名する名目的な存在となった。
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紀元前6世紀ごろには国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄した。しかしローマ帝国とパルティア、サーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。
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東の大国パルティアのオスロエス1世が、両国の緩衝地帯であるアルメニア王国に傀儡君主パルタマシリスを立てると、トラヤヌスはこれを自身の即位15周年記念祭への侮辱行為とした。アルメニアは東方属州における陸路貿易・海路貿易を独占する上で重要な戦略拠点と考えられており、一部の歴史学者は、戦争の根本的原因はアルメニアを巡る権益争いであったと推測している。
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