三昧
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主にアニメ監督、映画監督、脚本、演出を手がける。大阪大学に通っていたが出席しなくなり、映画三昧の生活を送っていた。東京に行くことを思いつき正式に退学し、東京でも映画三昧の生活を送っていたところ、友人から「トップクラフトというアニメ会社でアルバイトを探している」ことを聞きつけ、アニメ制作スタジオのトップクラフトへ。
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パリではシネマテーク・フランセーズなどで映画三昧の日々を過ごした。小津安次郎、溝口健二、黒澤明、大島渚など日本の映画監督の作品の多くは当時日本映画プームだったパリで観た。
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彼が大根は二股三股はまだしも、正月の注連飾の様に螺旋状にひねくれ絡み合うたのや、章魚の様な不思議なものを造る。彼の文章は格に入らぬが、彼の作る大根は往々芸術の三昧に入って居る。彼は仕事着にはだし足袋、戦争にでも行く様な意気込みで、甲斐々々しく畑に出る。
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わしがふだんよくよく注意してそちに教えていた、あの海印三昧だがな。その海印三昧がこの畑地の鏡のおもてに実現しておるのじゃ。
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私自身自分の女の肉体に青年のような筋肉の隆起が現われることに神秘的な興味を持ったのだが、気がつくと、これに瞠っている少女の瞳は燃ゆるようだった。彼女は見つめて三昧に入り、ぶるぶると身ぶるいさえすることがあった。私はこれを思春期の変態の現われじゃないかと嫌な気がしたが、そうではないらしかった。
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なかでも「火生三昧」の修法は立照閣時代、唯一の壮拳として今日に語り継がれる。火生三昧の実行は昭和12年9月14日午後から夜にかけて行なわれた。当日は朝に雨があり午後には止み、立川市曙町の立川航空神社の境内を借り、ここにテントを張って、二間四方の火床を設けた。
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在学中はフォークソング部に在籍、越智順子は3つ上の先輩だった。バンド三昧の大学生活を送り、大学を卒業し、大阪の広告代理店に就職。営業マンをしながら風俗店の紹介記事を書く。
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トミーは尋ね人があったり、保護しなければならない大勢の相手がいたりすると、水を得た魚のように活発に動き出す男だった。それがない時は能力をもて余して、例の博奕三昧の生活に耽ったりする。そんなトミーの性分を令子はいま肌で思い返しているに違いない。
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そうやって瞑想三昧にふけりながら、静かな数時間をじっとしていた。無人になっている村には、物音ひとつ立たなかった。
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静かに連歌の三昧を楽しみたいため、わざわざ不便な所へきたのじゃ。
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この二十五三昧が12世紀後半の共同墓地出現の契機とも考えられている。この二十五三昧が転じた「五三昧」が墓地を現す例も12世紀中期、遅くとも13世紀前半には見られるようになる。
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紫煙草舎の仕事も後廻しにした。私は親達にも弟達にも舎中の諸君にもそむいて、ただ推敲三昧に入つた。そのうちに時は過ぎ月日は徒らに私を取残して行つた。
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南アフリカ共和国でトラックの運転手、セールスマン、守衛、事務員などを経験したのち、イギリス・ロンドンで哲学を学ぶ。そこで日本のことを知り、京都で一年半ほど座禅三昧の日々を過ごす。その後、コロンビアでのちに妻となるファニタと出会い、結婚。
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前原くんがあまりにも聞き上手だから、またお話三昧になっちゃったわ。
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田中が金の渡し方がうまかったのは、人情の機微を心得ていたからでもある。田中は毎年夏になると軽井沢でゴルフ三昧の毎日を送るのを楽しみにしていた。この間は結婚式の挨拶や会合への出席を一切断ったが、葬式にだけは必ず足を運んだ。
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三畳の檻も広くはないが、二十一から二十四までも短くない、苦しかったはずだ。おれもかなりしたい三昧はしたが、まだ檻へブチ込まれた経験はない。でも、この野郎、ドコまでものんき千万に出来上っている。
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私はここに工藝における驚くべき一つの真理に邂逅する。あの初代の大茶人たちはその美を静かに見、深く見、そこに美三昧を感じた。彼らは何が美を形造る秘密であるかを探った。
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彼等こそは真に芸術三昧であり、表現のための表現に献身している。しかし吾人の知っているどんな詩人も、決して芸術至上主義者であり得ない。
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どうやら、午後は選りすぐってきた論文で、勉強三昧のつもりらしい。
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それはまれに南仏その他への旅行で中断される創作三昧の日々だった。われわれとしては、ここでもはや彼の主要作品とその出版年次を記すにとどめよう。
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さうかと思ふと殿のやうに女を女と思はず自分さへ歡樂を恣にすればそれで好いと思つてゐる人もある。情の赴くまゝにまかせてしたい三昧のことをしてゐる人だちもある。未來のことなどは少しも思はずに、人の夫であらうが、人の妻であらうが、そんなことには頓着せずに、たゞ愛慾にのみ耽つてゐる人だちもある。
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この日は、午後から母は出かけていた。月曜、水曜、金曜の週三回、彼女は三昧線の稽古に行っているのである。稽古が済んだあとも、そこで知り合った友だちとお茶を飲んだりして、帰りはたいがい暗くなってからになる。
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彼がふと寺の縁に立つと、あの富士と自分と融け合う三昧が現前したのである。もう、そのときは彼には、こんなことは珍らしくもうれしくもなかった、邪道でもあることさえ判っていた。
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当時僕は三十五だったが、結婚なんてことは、首つりと同じように、考えてもいなかった。若い娘なんか味もそっけもないものに思えて、道楽三昧に耽っていたものさ。ところが五月に、ノルマンディに住んでいた従兄のシモン・デラベルの結婚式によばれたんだ。
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カメラマンのK君も、N君もふとんの中でマンガを読んでいる様子だ。勿論雪担さんも自室に閉じ込もってマンガ三昧にふけっているのだろう。二泊三日の東山寺ではわれわれはまるでお客扱いだ。
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まもなく、川崎の「薄田拳闘クラブ」に通い、本格的にボクシングを始めた。このころから、喧嘩三昧の生活を送るようになり、愚連隊の世界に入っていった。少年院で、井上喜人と知り合い、兄弟分となった。
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ふみ子は夕方になると華やかなドレスを身にまとい、ダンスホールへと出かけていく。周囲は野江家の出戻り娘は幼子を放っておいて毎晩ダンス三昧と噂をしていた。その上、7歳年下の男性との親密な交際が始まったのである。
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しかし、そこで仕事をしている二人の陶器師は、顔も上げなかった。粘土の中にたましいが入っているように、三昧になりきっていた。路傍にたたずんで見ているうちに、武蔵は、自分もその粘土を捏ねてみたくなった。
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