一隅に居
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当時は戦後の学制改革として、旧制大学から新制大学への移行期であり、それに伴う設置基準により、施設や人員を整備することが要請されていたものの財政的に厳しく、専修大学は存亡の危機に立たされていたが、日本電気から現在の生田キャンパスを入手して施設を拡充させ、同時に学部の拡張を図り、その危機を乗り切った。晩年は校舎の一隅に居を構えて生活し、大学の再建に奔走した。
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逃走にかかろうにも、勢いに乗じた敵の駆引は巧妙で、そのすきを与えない。いつか、樹木の密生した一隅に居すくみの形になった。彼等が敵を殺傷するつもりになれば、この難場を脱するのはわけもないことだったが、四人とも、決してそうする気にはならない。
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とみも今は六歳の筈である。すがと文蔵は、お城下の一隅に居をいとなみ、文蔵のいただく四人扶持に頼って、ほそぼそとくらしており、とみもいっしょだという。いちと与五郎父子を怨んで、離散以来、ただ一度も、押込め所をたずねてくれたこともないすがが、とみにどんな仕打ちをしているか目に見えた。
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徳一が最澄と論争をしていた弘仁8年頃から同12年頃に書かれた最澄の著作には、「陸奥の仏性抄」、「奥州会津県の溢和上」「奥州の義鏡」、「奥州の北轅者」などの記述があり、この頃には陸奥国にいたことがわかる。また『守護国界章』に「麁食者、弱冠にして都を去り、久しく一隅に居す」という記述があり、この「都」は平城京であると考えられることから、遅くとも長岡京への遷都以前に20歳であったことが推測される。徳一が書いたと思われる万葉仮名が『守護国界章』に引用されているが、それには平安時代初期に中央で使われていた上代特殊仮名遣いがよく保存されていることから、中央で教育を受けたと思われる。
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