一言居士
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名詞
28 の例文
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一言居士 何事にも一言口をはさまないと気がすまない性質の人。浩歎 非常に嘆き悲しむこと。
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もしかするとそれは口をきくと自分の美と尊厳をそこなうことを恐れる人ではないかという気がする。またこれと反対にいわゆる一言居士と称するのもある。これはもちろん自分の一言の真と美を信ずるからのことであろう。
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男の名は、樫宮高校教師・瀬戸発。食堂の頑固親父も一言居士の評論家も、彼の土下座の前に折れざるを得ない。今、瀬戸を中心にして、日本中に土下座旋風が吹き荒れようとしていた。
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また、通算358盗塁を記録しており、4度盗塁王を獲得している。一言居士で、横浜時代は監督やチームの方針に納得がいかないと、臆することなく意見することが多かった。また熱い性格から、試合中も退場処分こそないものの、審判の判定に納得がいかないと、激昂するシーンも多く見られた。
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右にのべたような諸家の内紛にもいちいち首をつっこんで来るが、がいしていえば彼は旗色の悪いほうへ肩いれをした。へそまがり、一言居士といっていいが、世には彼を侠勇の将と呼ぶ者もあった。勝元からすれば、それも宗全流の人気とりの策略に見える。
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庄松の信仰は属していた講が身口意の三業帰命を厳しく説くものであった。その言行は時には一言居士の直言にも似た皮肉に満ちたものでありながらも、暖かい慈悲の心が感じられるものが多い。
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編集局といっても、記者が全員揃って十三人の、狭い部屋である。日頃から一言居士で知られる文化部長が、珍しく饒舌なのも、日本から来ている特派員たちが色めきたっていることへの、皮肉なのだろうか。
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そのほか二、三の団体に関係もあるが、そうした団体の集会で、日本人は率直な御意見をと問われても、述べるものはおそろしく少数である。述べるのは多くの場合一言居士か、屁理窟屋に決っている。その他の連中はいったい何を考えているのかよくわからぬ。
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経済部出身の一人は、娘の結婚で四国へゆき、もう一人は韓国政府の招待でソウルにゐる。学藝部出の一言居士は、どこかの雑誌に頼まれて古代日本海文化とやらを調べに行つてゐるし、運動部出身の老人は、引退した野球の名選手に誘はれてシドニーへゴルフに行つた。しかし、かういふのはまあ、困らない。
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逆に、思想的立場からいえば、科学者のように、あるかどうかも絶対的な意味ではわからない「客観的真理」なるものに頼ってもいられない、ディタッチメントなど維持できないという気持ちもあるのでしょう。実際、たとえば憲法問題のようなきわめて政治的、そしてある意味では現実的な問題において、一言居士のように「真理」だけを説いていればよいのかどうかは疑問です。「真理」だけ見ていても、なかなか「思想の社会的身体」は見えてこないからです。
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最後の飲み会は出席者が多く、噂を聞いて顔を出すOBもあつて、非常な盛況である。これならやめなくてもいいのに、と外報部出の論説委員が言ふと、学藝部出身の一言居士が、雑誌の終刊号が売切れるやうなものさとまぜつ返した。もちろん開会の辞の前にもうみんなが飲み出してゐる。
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中国に、坊主だか哲学者だか質屋の親爺だったかよく覚えていないが、とにかく一言居士みたいな人がいて、山高きをもって貴しとせず、木多きをもて貴しとすとか何とかいったそうだが、バーの一流たる所以はいかなる条件によるのだろうか。勘定書きが高いということか、内部が広くて飾りつけが凝っているということか、それとも美女がわんさといるということか。
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だから、書いた人、写真の人、読む人、という三者の距離感が見えてこない。あまりにも高みの見物、単なる小うるさい一言居士、なのである。政治、風刺をねらっていても、うまくできているものもある。
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足を故障したときも、バッターボックスに椅子を置き、それに座ってフリーバッティングをしていた、付き合っている女性のマンションにバットを持ち込んで夜中に素振りを繰り返していた、など、枚挙に暇がない。同年代に活躍し現役晩年に阪神で同僚となった田尾安志と同様、一言居士な気質で、若手の頃から首脳陣や先輩にも臆することしなく堂々と意見をぶつけるほどの硬骨漢としても知られる。後年現役時代を振り返り、「自分は減らず口ばかり叩いてきたから、ベテランになれば出されるのは覚悟していた」と語っている。
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反共主義の一言居士として名を馳せた。金銭的には清潔なことで評判だったが、選挙に弱く、当選落選を繰り返していた。
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一言居士で知られるラジャラトナム副首相でさえ気遅れするほど、シンガポールとインドネシアの力関係には格差があり、また、ある面での関係は疎遠である、ということなのだろう。あらためて、この地域の国々の関係の複雑さを知った。
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この場面の映像は、まるで武田が接近するバナザードに怯えているかのように扱われ、珍プレーネタとして放送された。自他ともに認める一言居士で、明治大学時代には島岡吉郎監督に反発したほか、プロ入り後も首脳陣と衝突して日本ハム・中日をそれぞれ追われている。しかし、本人は2002年に古くからの知人たちから「もう40歳近いんだから、少しは丸くなれ」という助言を受けても「僕から意地を取ったらただの投手です」と反発している。
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