用例.jp コラム

或る写真

ホロコースト全史の或るユダヤ人結婚式の写真を見て、私は戦慄を覚えた。真夏であったが、どうしても震えが止まらなかった。それは、教会の入り口と思われる階段の各段に、式の参加者が四五列に並んでいる集合写真であった。前列中央には花婿と花嫁が、その左右に小さな女の子と男の子が一人ずつ。二列目以降は、親族と思われる人達が五六人を一列にして並んでいる。それは一見、ごく普通の白黒写真である。誰某(たれがし)の古いアルバムにそれが紛れ込んでいたならば、大した感想も持たずに見過ごしてしまうに違いない。それほど、構図に於ける不自然さは一つもないのである。

ただ奇妙なことに、誰一人として、笑っていない。

どこをどう探しても、自然な笑顔が一つも見当たらないのだ。そこには、人間不信そうな、ことによると睨んででもいるような疑惑の眼光が、カメラのレンズを凝視しているばかりである。芸術家がその場面を描こうものなら、作品はその目で埋め尽くされることであろう。僅かだが、中には社交辞令で作られた笑みを浮かべた婦人もある。しかしその偽の表層さえ、酷く不慣れで引き攣った、ある種恐怖の色を眼底に含んだ、不自然極まりないものである。あどけない前列の女の子は、口を瓢箪の形に開き、眉をしかめながら怯えたふうの表情をしている。恐らくそれが普通なのであろう。その子と手を結んで凛と立つ新郎の形相は、軍の隊長に面罵されてでもいるかのように、石のように硬く、鋭く、そこからは一縷の喜びも感じとれない。その厚顔が無機物的過ぎて、あたかも死相が出ているかの如くである。勘違いしてはならない──これは結婚式である。少なくとも花嫁と花婿にとって、幸せの絶頂がそこにあるはずである。しかし、その幸福の具現化、云わば桜が満開に花開いた永遠のこの一瞬が、誰一人として、芯から笑わない──笑えない──あまりにも恐怖に慣れすぎた目と、固まった顔面で、悉く埋め尽くされているのである。