知の巨人・小林秀雄氏のモーツァルト論は映画『アマデウス』のモーツァルトに近く、『アマデウス』よりも個体として美しかったが、本書は、そうした過去の偉業の中に暗々裡に神格化されざるを得なかったモーツァルト像を現実に引き戻し、地に足の着いたモーツァルトを描写する。主題は必ずしもモーツァルトの「天才の秘密」には留まらず、寧ろ幼年より才に愛され続けたモーツァルトという一個の人間の成長にある。故にその自然なフォーマットとして伝記的な形式を採用している。モーツァルトの旅を経るごとの成長、父レオポルトとの葛藤、従妹との火花あるいは突拍子のない恋、社会に揉まれ辛苦する(モーツァルトという)自由な精神──そうした史実を、生きた言辞を以て再現するのである。
ところで著者はレオポルトに“憑依”し、レオポルト視点でモーツァルトを記述することが多いが、私にはこれが実に効果的であるように思える。ただその為もあってか、モーツァルトが(父・レオポルトから)自立するまで実に全体の三分の二の文量が割かれており、それ以後の流れにはやや駆け足感が漂うことは否めない。しかし、総体としての質──特に作者の知識、心理描写、読者との距離感におけるそれ──は非常に高い。私は本書で初めて中野雄氏を知ったのだが、後に私が氏の全著作を読むに至ったのは、本著に端を発する。氏は既に定年退職をしておられるが、曰く、退職後が人生で一番多忙で、生きているという実感がある、そして「今の音楽にかかわる人生が最高である」と明言しておられる。晩年におけるこうした進歩的な考えは──欧米ではそうでもなかろうが──現今の日本において類が少ない。我々は、多くの年配方が、テレビに魂を吸い取られた “カウチポテト” として人生を終えるのではなく、氏のように自ら突出せんと努めることを願うばかりである。
大いに楽しませて頂いたので書きたいことは他にも山程あるのだが、長くなりそうなので、以下その幾つかを箇条書きにした。