用例.jp ブックレビュー

谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」

★★★★☆ (4/5点)

この作品は谷崎の実体験に即している。谷崎自身をモデルとした主人公の老人は、正に『痴人の愛』ナオミを想起させる息子の妻・颯子を、性愛の化身として崇め、服従し、それを魂の救済とした。老人は颯子との体験を元に、己が痴的妄想を膨張させ、それが最大に達するクライマックスにポックリ他界することをも潔しとする。否、しかのみならず、死後も颯子の足に踏まれ続けることを切望した。

『痴人の愛』からの脱皮

谷崎はよく、耽美派の先導者の一人して挙げられるが、この作品と『鍵』だけは、他の作品とは思想が異なる。即ち『瘋癲老人』ではもはや「美」は姿を隠し、代わって「痴」の永劫追求が主軸とされ、それが観念化すればする程──三島の言葉を借りれば──「美の純粋性は高まる」のである。その意味で、『瘋癲老人』は『痴人の愛』が脱皮し転生した姿である。

千萬子との関係

これは氏の日記を読めばわかることだが、谷崎は晩年、目が悪く、文字を読むことが困難であった為、執筆により──妄想を言語化することで──自己の鬱勃した欲求を満足させた。颯子は義妹の息子の妻・渡辺千萬子がモデルとなっていることは良く知られている。或る時、谷崎は、千萬子と二人水入らずで、二日間のホテル生活を果たした。千萬子がその滞在を回想するに、谷崎は五体投地の如く見を伏せ「頭を踏め」と頼んだ、とのことである。勿論、これは氷山の一角に過ぎず、ホテルでの実体験が本書の師するところ頗る大であったことは言うまでもない。

内容は楽しめること請け合いだが、流石に今の時分、仮名交じり文は甚だ読み難い。このままでは、作品が次第に淘汰されていく懸念がある。後世に読まれる作品にすべく、平仮名版が出版することを切に願いたい。