用例.jp ブックレビュー

「文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録 ほか 芥川vs.谷崎論争」

★★★★☆ (4/5点)

論争後の芥川の自害も関係して日本の文学論争史では最も有名であると思われる「谷崎・芥川論争」の総体を、新字・新仮名を用いて現代人向けに提供するものが本書である。文量だけを取っても、タイトルは『饒舌録/文芸的な、余りに文芸的な ほか 谷崎vs芥川論争』とするのが筋かと思われるが、編集者乃至出版社側にその逆をとる何らかの事情があったのかもしれない。いずれにせよ、九十年以上前の「論争」が今になって纏められ、出版されたという事実は大変喜ばしいことである。

『饒舌録』の時評

本書は前置き無しでいきなり谷崎の『饒舌録』の時評から始まる。よって「論争」の大要を既に掴んでいる読者がターゲット層であると考えられる。私自身、そこに異論はない。(もし知らない方は、臼井吉見著『近代文学論争 上』に一番手っ取り早い要約がある。)だが、私がやや不親切だと感じた点は編集にある。例えば『改造』昭和二年三月号の饒舌録で、谷崎は、同年二月号の「新潮合評会」の芥川の言辞に論駁するが、なぜこの合評会を『改造』二月号と三月号の饒舌録の間に挟まなかったのだろう。頁を進めるごとに編年的に全容を辿れるような構成にすることは可能だったはずだろうし、こうした本を買う読者もそれを求めているはずである。それと──既にこれらを読んでいた私には問題にならなかったが──『饒舌録』にせよ『文芸的な、余りに文芸的な』にせよ、折角なら注釈の一つや二つ加えるくらいの親切はあっても良さそうなものなのに、とやや遺憾に思った次第である。

「論争」

さて、肝心の「論争」だが、これは元々、谷崎の「近年 […] 出来るだけ細工のかかった入り組んだものを好むようになった」という個人的な恰好に対し、芥川が自分は「『話』らしい話のない小説」を贔屓にしたい、そして谷崎の好む「筋の面白さ」を求めた作品は芸術的といえるかどうか疑問である、と一方的に喧嘩をふっかけた体をとる。そうして「論争めいたもの」が始まるが、詰まるところ、そもそも芥川の推し進める論理の主柱となる「『話』らしい話のない小説」そして「詩的精神」らの定義からしてブレブレであって、「論争」は最初から論争と言えない論争、始まってすらいない論争であった。その芥川の陥穽に大賢・谷崎が気付かぬはずもなく、そこを明晰に指摘された芥川は、自身が実際に「左顧右眄している」ことを認め、「論争」は下火となり、幕を閉じた。

有意義な読み方

よって私は、敢えて「論争」以外の内容を味読することも、別の有意義な読み方としてお勧めしたい。実際、谷崎・芥川ほど文芸事情に精通していた文人はその時代、数える程しか居なかった。谷崎は饒舌録でスタンダールの『パルムの僧院』を引き合いに出したが、当時はその日本語訳が一つもなかった。『パルムの僧院』の存在を知っている者すら、文学研究者を除けば皆無に近かったであろう。谷崎はその英語訳をわざわざ自宅に取り寄せて読んだのである。『パルムの僧院』が現在日本で名作として知られるようになったのも、谷崎の饒舌録に端を発するように思われる。その一例だけをとっても、彼の時評以上のレベルは、ごく一部の批評家を除いて絶無であったと言えそうである。一方、芥川の時評は、時折見せる慧眼も勿論有益だが、それ以上に、自害前の並行性を欠いた微妙な心理が文章に現れていて多分に面白い。芥川らしからぬ感情的、否、感傷的な側面が垣間見れる。芥川が谷崎を語る時、谷崎への友愛が懇々と文章に湧き出るのである。実際──一部ラブレターなどは措くとして──芥川は『文芸的な』程にパーソナルな裸の文章をそれまで書いたことはなかったのではなかろうか? その意味で、芥川の“告白”は極めて貴重だと言えるのである。

ナンセンス文学の隆盛

余談だが──これは芥川の定義からは逸れるけれども──感覚的な解釈での「『話』らしい話のない小説」自体は、主にジョイスの『ユリシーズ』を以って、そして(美術ほど侵食されはしなかったが)ポストモダニズムという“偏西風”の影響も相俟って、今となってはせいぜい熾火ほどの予熱しか残っていないだろうが、芥川の没後、世界的に少なからず認められるようになってきた。ナンセンス文学というのがそれである。確か佐伯彰一がこの解釈を以って──完膚なきまで芥川の主張・左顧右眄ぶりを叩いた後に──芥川の弁護めいた批評を加えたことがあったと記憶するが、ナンセンス文学を芥川が求めていたとは私には到底思えない。畢竟、芥川は詩的であること、彼好みの音楽が作品に流れていることを求めていたのであろうと私には思えるのである。

まとめ

何れにせよ、「谷崎・芥川論争」の全貌を余すところなく知るのに最適なのが本書である。これに間違いはない。文学好きの読者には一度手にとって頂きたいところである。