黒部奥山

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  • 黒部奥山に限ると後立山を境に北部を下奥山、南部を上奥山と呼んでいる。
  • この黒部奥山へしきりに出没したのは信州の杣であった。
  • 藩政初期、加賀藩にとって黒部奥山は未知の世界であった。
  • 出し平ダムは富山県黒部市宇奈月町黒部奥山国有林地先、黒部川本川に建設されたダムである。
  • 天保9年加賀藩が松代藩と交渉して、塩の提供を条件に、黒部奥山の木材を江戸に搬出するために松代領を通行する密約を結んだことが、残された政和の覚書により判明した。
  • 領民に対しては「御縮り山」として立山参りの正規ルート以外での黒部奥山への立ち入りを禁じた。
  • 仙人谷ダムは、富山県黒部市宇奈月町黒部奥山国有林内にある関西電力管理の重力式コンクリートダムである。
  • 加賀藩初代藩主前田利家は、慶長3年2月に浦山村の百姓伝右衛門を召し寄せて黒部奥山の様子を聴聞している。
  • その後宝暦9年、加賀藩では他国から材木を買うことなく自国の領内で賄おうと黒部奥山の伐採事業を進める。
  • そのため、第1新館側は長野県北安曇郡白馬村の白馬山国有林に、第2・第3新館側は富山県下新川郡朝日町の黒部奥山国有林に立地するものと認識されている。
  • しかし戦国時代の佐々成政の佐良峠~針ノ木峠越で越中・信濃間の最短の間道として黒部奥山は軍事上の要点であった。
  • ここでは黒部奥山での奥山廻りについて述べる。
  • 江戸時代初期の黒部奥山廻りの記録には「此辺後立山に至る迄ノ間至険岨ニ而通路相成不申候」とあり、初期の奥山絵図では空白地帯であった。
  • この時伝右衛門には礼状として前田利家印判状「越中新川郡黒部奥山之儀委敷聞、喜敷候」が下付されている。