高坂昌元
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名詞
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慶長5年3月には川中島へと入領。入領してすぐに天正壬午の乱の際に兄である長可を裏切った高坂昌元の一門を探し出して磔に架けるなど当初から強硬な姿勢で臨んだ。また居城となった海津城を「待城」と改名している。
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武田勝頼期には尾張の織田氏との対決が行われているが、虎綱は天正6年の上杉謙信死後に発生した上杉家における御館の乱において、武田信豊とともに上杉景勝との取次を努め、甲越同盟の締結に携わっている。虎綱が甲越間の交渉に携わっている天正6年6月8日付の北条高広・北条景広宛上杉景勝書状を最後に史料からは消え、6月12日付の武田信豊書状では信豊が単独で交渉に携わっており、同年10月からは虎綱の子の高坂昌元が登場することが確認される。同年6月14日に海津城において死去したとされる。
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