馬耳東風という
3 の例文
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少し寛かにするくらいのことはむろんあるべきはずですが、或いは博奕をしたり、公々然と汚穢な振まいをしたり、神聖に保たるべき寺の中の騒しいこと、なお市場より甚だしいというにいたっては、言語道断の次第で、全く仏法滅亡の兆を顕わしている。忠告的の書物が幾らあったところが、先生らの耳には馬耳東風というよりも、見も聞きもせず、いわゆる余所の国にある結構な宝物とちっとも違わんのでありますから、何の役にも立たんです。
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しかし、そういうエッセーのかたちで書いた場合には、初めから政治的人間というもののいかがわしさに対して、多少のカンを持っている人しか同感してくれない。つまり、理想主義に共感し、燃え上がっている人物に対しては、いくらエッセーで述べたところで、まったく馬耳東風ということになってしまう。だから、この場合に、論理の奥底は明確に分かっているにもかかわらず、読者の情念のさまざまな角度に訴えるために、いろいろな手練手管を用いる。
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教育問題に関する政府の審議会には脳科学者と進化生物学者をぜひとも入れてほしい。と言っても、馬耳東風というか、笛吹けど踊らず。脳科学者の意見も進化生物学者の見解も、教育関係の方々や組織には一向に届かない。
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