首ひき
全て
名詞
18 の例文
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かような指導書を見出したときには、これをくりかえし、幾度となく熟読し、玩味し、その解答を検討すべきである。手垢に汚れ、ページがほどけるほど首引きするのこそ指導書である。広く読書することも必要であるが、指導書を精読することは一層大切である。
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あのド畜生ども!わしらが今これからでも馳せ向かって、素ッ首ひきぬいて来ますべ。何のご心配もいらぬことですわい。
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謡本と首引きで、朱筆で点を打ったって、真似方も出来るもんか。第一、五紋の羽織で、お袴で、革鞄をぶら下げて出稽古に歩行くなんぞ、いい図じゃあないよ。
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やがて南米へ行くのだと云つて、英語の勉強をしてをられました。休み時間には一人教室へ残つて、厚い辞書と首引をしてゐる姿をよく見ました。
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生徒は予め種々な註釈書を見て一通り意義を調べて置いて出席したものである。そして初心者は何々示蒙などいう仮名交りの解釈と首引して調べたものである。が私は既に自宅でも朋友同志で輪講会読もして聊か牛耳を執っていたのであるから、この寄宿舎の方でも最もよくしゃべった、先生も私の説には多く首肯してくれた。
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権現は継子で母が大豆ばかり食べさせ、不動は実子だから小豆を食べさせていました。後にこの兄弟の山が綱を首に掛けて首引きをした時に、権現山は大豆を食べていたので力が強く、小豆で養われた不動岩は負けてしまって、首をひき切られて久原という村にその首が落ちたといって、今でもそこには首岩という岩が立っています。揺ぎ嶽という岩はそのまん中に立っていて、首ひきの綱に引っ掛かってゆるいだから揺嶽、山に二筋のくぼんだところがあって、そこだけ草木の生えないのを、綱ですられた痕だといい、小豆ばかり食べていたという不動の首岩の近くでは、今でもそのために土の色が赤いのだというそうであります。
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また西洋哲学を勉強するにはそのいわば永遠の源泉であるギリシア哲学とキリスト教とをぜひ研究しなければならぬということを諭されたのも先生であった。その影響で私はギリシア語の勉強を始め、辞書と首引きでプラトンを読んだり、またキリスト教の文献に注意するようになった。これまでの自分を振返ってみると、私は考え方の上では西田先生の影響を最も強く受け、研究の方向においては波多野先生の影響を最も多く受けていることになるように思う。
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小学中学の恐るべきはこれだけにても知らるるなり。一 小説家たらんとするもの辞典と首引にて差支なければ一日も早くアンドレエ・ジイドの小説よむやうにしたまへかし。戦争以来多く新刊の洋書を手にせざれば近頃はいかなる新進作家の現れ出でしやおのれよくは知らねど、まづ新しき小説の模範としてはジイド、レニエーあたりの著作に、新しき戯曲の手本としてはポオル・クローデルあたりのものに目をつけ置かばたいした間違ひはなきもののやうに思はるるなり。
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後にこの兄弟の山が綱を首に掛けて首引きをした時に、権現山は大豆を食べていたので力が強く、小豆で養われた不動岩は負けてしまって、首をひき切られて久原という村にその首が落ちたといって、今でもそこには首岩という岩が立っています。揺ぎ嶽という岩はそのまん中に立っていて、首ひきの綱に引っ掛かってゆるいだから揺嶽、山に二筋のくぼんだところがあって、そこだけ草木の生えないのを、綱ですられた痕だといい、小豆ばかり食べていたという不動の首岩の近くでは、今でもそのために土の色が赤いのだというそうであります。
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かつてロンドン滞在中、某氏とハンプトンコートの離宮を拝観に行った事がある。某氏はベデカの案内記と首引で一々引き合わして説明してくれたので大いに面白かった。そのうちにある室で何番目の窓からどの方向を見ると景色がいいという事を教えたのがあった。
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俺も可笑しかつたから、だんまつて笑つた。支那人は、スマシタ顔をして、鏡と首引をして居る。
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私は本と首引きだが、本草が好物でな、知ってる通り。で、昨日ちと山を奥まで入った。
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さるでもしばいとならば、大根、下回り、中看板、名題と、いろいろ階級があるとみえて、最初は下回り連のありふれた曲芸。その次が鳴り物づくしに、首引き綱引き、第三にすえたのが呼び物の一つである盛遠袈裟切りの大しばいでした。
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しかし後年芝居を見るようになってから、講談筆記で覚えた話の筋道は非常に役に立った。東京の家からは英語の教科書に使われていたラムの『沙翁物語』、アービングの『スケッチブック』とを送り届けてくれたので、折々字引と首引をしたこともないではなかった。わたくしは今日の中学校では英語を教えるのに如何なる書物を用いているか全く不案内である。
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「古代ギリシア彫刻家」という題で、父が云うには、これはためになる本だし、絵もあり、活字もパラリとしていて、書いたのは女の人だからお読みということです。私は奮起して字引と首引き、帳面に自分でわかったと思う翻訳をしてゆくのですが、女学校ではピータア大帝が船大工の習業をしたというような話をよんでいるのですから、どうもデルフィの神殿だとか、破風だとか、柱頭、フィディアス等々を克服するのは容易のわざでありません。女神の衣の襞がアテネの岸を洗う波とどうなったのか、至極混雑して、やがては従兄の援軍で、どうにか三分の二までやり、遂そのまま降参したことがあります。
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原作の浄瑠璃を読むと斎藤太郎左衛門は、一見武骨な頑固親父ともいうべき人物である。三段目の「六波羅館」で駿河守範貞に誉められても喜ぶことなく、三位の局のことを聞かされてばかばかしいと帰ろうとし、局を連れて来るよう命じられても「もし三位の局、首引き抜いて参れなどとの御用は、何時にても仰せ付けられ」といって相手にしない。いかにあるじとして仕える者のいうことでも、くだらない用にれっきとした武士を使うなという態度である。
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日を経ず 大皇の勅に 背く奴等の首引抜きて、八つもてかへれ 大皇の勅 頭に戴きし功績あらはせ。