飛地境内
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南禅寺、黒谷を前景として、遠く鞍馬山、比叡の山脈までが見わたせた。ここは青蓮院の飛地境内で、大日堂があり、そこにはいつの時代ともわからない石の古仏が祀られていた。さらに境内には、周囲約十メートルの円形の塚があり、草木が生い繁っている。
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長門国二宮とされ、現在は神社本庁の別表神社である。飛地境内として国の天然記念物満珠島干珠島を有している。また、魁傑將晃が現役時代、荒熊稲荷神社で九州場所の必勝祈願を行い優勝したことが縁となり、毎年11月3日の三日相撲に合わせて参拝する。
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境内の定義は様々で、例えば、全ての占有地を境内と呼ぶとは限らず、神域として他から区別している敷地のみを境内と呼ぶこともある。飛地境内のことを境外と呼ぶこともある。また、法律用語での境内地とは宗教法人が宗教活動に用いるための土地のことである。
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敷地全体が聖應寺の飛地境内でもある。
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堂宇が灰燼に帰す。以下は本堂西南方に位置する飛地境内に所在。日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
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本尊は室町時代頃の作と推定される。では規模が縮小しており、阿弥陀如来を祀る本堂のほか、飛地境内に薬師堂がある。薬師堂は大相撲夏場所の時期になると相撲部屋の練習場を兼ねた施設として利用されている。
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山頂近くの聖應寺飛地境内となっている平地には地蔵堂があり、ここに3体の石仏が安置されている。このうち左の1体が俗に「身代わり地蔵」「延命地蔵」などと呼ばれる頭部が欠落した胴体のみの石造地蔵菩薩像で、高さ115センチメートル、幅49センチメートル、厚み28センチメートル、背面に「大同二」という年号が刻まれている。
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ただし実際の濁池はその名に反して、市内の他のため池に比べて透明度が高いという。聖應寺飛地境内にある複数の地蔵尊を納めた堂であり、3体の像を安置したものと、南隣に1体の像を安置した小堂がある。地蔵堂の正面から見て左の地蔵尊が峠地蔵尊、中央の大柄な立像は「元文三年七月廿四日」の銘を持ち、右の坐像には「明和三年七月」の銘がある。
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thumb|三島の大ケヤキ 境内は黒部市指定史跡となっている。飛地境内にある「桜井の化藤」「三島の大ケヤキ」は市指定の天然記念物である。鶏が神使とされており、元禄2年に奉納された鶏の絵馬が残されている。
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大正14年には平安時代建築の様式を取り入れた観音堂が再建された。昭和17年には宗教団体法の規定に基づき、向源寺飛地境内観音堂は正式に向源寺の所属となった。十一面観音像が文化財保護法に基づく国宝に指定されたのは昭和28年のことである。
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青蓮院では、例年春と秋に期日を区切って夜間拝観を実施し、庭園のライトアップを行っている。東山山頂の将軍塚周辺が飛地境内となっている。
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江戸時代に入り、高台寺や大谷祖廟の造営にあたって寺地を献上し、規模が縮小された。明治初年に再び天台宗の寺院に復帰したが、円山公園が造成のために上地し、本堂と飛地境内にある西行庵のみとなった。
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天正6年2月3日、磯野員昌が信長の叱責を受けて突如高野山へ出奔したため、その所領・高島郡がそのまま信澄に宛行われ、新庄城から移って、明智光秀の縄張りで新たに城を築いて大溝城主となった。また大溝城下に、比叡山延暦寺の飛地境内にあって兵火に焼けた大善寺の別院を建立してその開基となった。以後は、津田あるいは織田姓を名乗っており、他の連枝衆と同じく、信長の側近としての務めと、信忠配下の遊撃軍団の一員としての両方の活動を行った。
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成田駅方向から、成田山へ向かう三差路の左側、成田山新勝寺飛地境内に位置する。光明堂が本堂になる前の旧本堂である。
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国宝指定時の内務省告示における十一面観音像の所有者名は「観音堂」となっている。向源寺が属する真宗では、阿弥陀如来以外の仏を本堂に祀ることを認めていないが、この十一面観音像については、向源寺飛地境内観音堂に祀るということで、本山から許可された。大正14年には平安時代建築の様式を取り入れた観音堂が再建された。
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前者の合祀には、本殿で祭神を一緒に祀る本殿合祀と、神社の境内に元の神社を移転し境内社とする境内合祀、離れた飛地境内に移転し境外社とする飛地境内合祀の3種類がある。明治から大正にかけての神社合祀令では多数の神社が合祀の末、廃社された。
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山門を入ってすぐ正面に本堂、右手に「へそ石」、親鸞堂、納経所、本堂裏には聖徳太子沐浴の伝説にちなむ池や太子堂がある。鐘楼は山門から公道を隔てて向かい側の飛地境内にある。また、境内北側には、華道家元「池坊」の本部ビル・池坊会館がある。
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