韋提

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  • 水戸光圀もこの村に直韋提が住んでいたのではないかと考え、ナゾに挑戦した。 ...
  • しかし、直韋提の墓かどうかは確めることは出来ず、出土品はまた元に戻して埋めた。 ...
  • それで韋提の没後、其の恩顧を受けた帰化人等が此の頌徳碑を立てた。 ...
  • 光圀はこの古墳は直韋提の墓地と考えて発掘した。 ...
  • そうして韋提は文武天皇の四年正月二日に死去された。 ...
  • 国造の官職にあって、名を韋提といった。 ...
  • 那須国造碑文にある「永昌元年」の六八九年といえば、日本でも年号を使いだした「大化の改新」からすでに数十年がたっており、韋提が「評督」となった永昌元年は「朱鳥」三年で、彼の亡くなった年の翌七〇一年にはそれが「大宝」となった。 ...
  • 韋提は豊城入彦尊の子孫で、博愛の心が深く、新羅の帰化人をいたわって、芦野町唐木田村に土着させて、一生安楽に世を送らせた。 ...
  • 碑文によると韋提は広氏の後胤とみえているが、広氏とは上代の氏族で、『新撰姓氏録』によれば、崇神天皇の皇子豊城入彦命の孫とされ、大化前より下野国那須地方の豪族として、その勢を維持していたらしい。 ...
  • 那須国造を務めていた飛鳥時代の豪族の那須韋提は那須国造碑によると永昌元年己丑4月に那須評の評督になったという。 ...
  • 那須国造碑によれば、那須国造の那須直韋提が永昌元年己丑四月に評督に任命されたとあり、この年に同族と考えられる下毛野国造が治めた下毛野国とともに那須国は令制国の下野国に編入され那須郡となった。 ...
  • したがって、「骨を砕き髄を視るとも、豈前恩に報ぜんや」となり、そしてそれがまた、「三、祭神の略歴」にある、「韋提は豊城入彦尊の子孫で、博愛の心が深く、新羅の帰化人をいたわって」うんぬんともなったもののようだった。 ...
  • 永昌元年己丑四月、飛鳥浄御原朝に、那須国造で追大壹の那須直韋提は、那須評督に任じられた。 ...
  • 永昌元年己丑四月、飛鳥浄御原の大宮那須国造、追大壱那須直韋提に、評の督を賜わる、歳庚子に次る、年の正月二壬子の日、辰の節に弥故す。 ...
  • 永昌元年己丑四月、飛鳥浄御原大宮に、那須国造で追大壹の那須直韋提は、評督を賜はれり。 ...