金科玉条
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人のいうことは、心底信用してはいけない。それは彼女が長い人生をかけて確信を重ねてきた金科玉条だった。小さい頃、人が死んだらアメリカに行く、と友達に教えられた。
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ウルムチに滞在するかぎりは、まさに金科玉条とすべきであるようだ。センテュパンのヤーメン〔役所〕をたずねる時間がきた。
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それは時代が変わってきているからだ。判決が金科玉条で一切動かせないとは私たちは考えてない。その時その時の最高裁が、日本国民の風潮を十分考えて、見直すことはできる。
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これがわたくしの金科玉条とする国家観であります。でありますから、わたくしの衣服のひじがすり切れておりましょうとも、それで暴徒であるとか略奪者であるとかとご判断下さらぬようにお願いいたします。
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こういう人並みはずれた人物や出来事を前にしてすべての策が尽きてどういう反応をしていいか分からなくなったときには、カトリック教会には奥の手とも言うべき判断の基準がある。つまり、なる実によって木を判断しろという金科玉条である。イヴォンヌの活躍はその基準を悠々とクリアーするにたるものだった。
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けれども体の大きさとか重量とかいった数量的表現によって、はたして社会的水準の合理的な識別ができるかどうかを疑う人があるに違いない。そしてその人たちというのは多分自然には飛躍がないということを金科玉条と心得ている人たちであるだろう。なるほど自然に飛躍がないということもいえるのであるかも知れないが、それは世界中の植物や動物を全部ひと処に集めて並べてみた場合に、あるいはそんなことになるかも知れないというだけであって、前にも注意したように、百万種以上にも及ぶ生物の種類の全部が世界のどこにでも見出されるのではけっしてない。
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そして、その描写について、主人公の良吉青年の純粋の体験描写を用いたと述べている。この金科玉条に反逆の一矢を放ったものだとも述べている。実業家、比良良三は息子の良吉の非行を嘆いていた。
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江戸の町人たちは、徳川幕府と大名屋敷の消費を中心として発展してきた。彼らの金科玉条とは「将軍家御用達」であり「水戸様お出入り」である。権力の威光にすがることが商道発展の兆になる。
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わたしはご主君がわたしより物知りだということをよく承知しております。ご主君のお言葉をわたしは金科玉条と心得ているのです。わたしは同じか、さもなければ似通った意見を口にします。
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じたい「増鏡」の筆者でも「太平記」の筆者でも隠岐は見ていず、地誌や地図にも晦かった人の筆なのだ。それを余りに金科玉条としすぎるからいけないのだ。たとえば、今日のマスコミの中にいてすら、近ごろやかましい李ラインの竹島が、隠岐の位置とは、わずか八十五浬の西北にあるという常識地理でも、都会人にはちょっと思い泛かばないのではあるまいか。
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それが、その後の歴史教育の筋金となつた。それを金科玉条として、下は小学校から、上は大学にいたるまでの教育でもつて日本人に詰めこんだ。それを批判し、それに反対する学者は、すべて国賊として指弾されたのである。
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砂川事件の最高裁判決では「統治行為については司法権の判断はなじまない」とかなんとか、素人にはあまりよくわからないけれど、平たく言えば、極度に政治性の高い問題は、国民の総意を結集した国会で承認されてさえいれば、多少憲法にはずれていてもかまわない、という意味の主張が昨今は目立っている。憲法は必ずしも絶対の金科玉条ではないのである。
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日露戦争の勝利は、将兵の忠勇・精神力の格別の発揮と、これを最大限に活用する作戦指導によると全陸軍は確信した。その日露戦争に学ぶことを陸軍は金科玉条とする。攻勢意志の信念化である。
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ARMの手はまったくかかわってきていない。そしてパペッティア人には、臆病さを金科玉条とする哲学にささえられた百万年もにわたる伝統がある。彼の生命がほしいわけでもないだろう。
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場所もあちこちに移動します。もちろん、「三つの統一」は作劇術における金科玉条ではないが、やはり非常に重要なことであります。なぜなら、それによって、私たちは完結した世界の造型性を感得するからです。
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この頃、今松はこうしたかずかずの見聞の結果、左のような金科玉条をば新しく発見した。せっかく、真打候補の若手として、今売り出そうとしかけている俺。
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一太郎の心配の元凶となった隠居に対しては、きびしい言葉しか出てこない。長崎屋に巣くう面々は、若だんなが大事という金科玉条を法の代わりにしているのだ。
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