遊山
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名詞
319 の例文
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大阪の芝居見物は何かものを食べながら、話しながら、飲みながら、その間に時々舞台を見ているようである。もの見遊山というのは芝居見物のことだと私は子供の時から思っていた。私の父は芝居、遊芸道楽に関することは何から何まで好きであったから、私は人間の心もちも出来ていない幼少の時分から芝居へはしばしば出入りした。
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例えば、お祭の相談事だとか、お日待の崩れだとかいうものならば、場所柄としても、神社の拝殿とか、お寺の本堂とかを借りたらよかりそうなもの。かといって、船の団体で遊山保養をしての帰りがけの一行らしくもない。その乗りつけた船には何の飾りもなく、第一、集まった人がおもに中年ものの男で、それが簑笠こそつけない、竹槍こそ持たないが、いずれも大げさにいえば一道の殺気粛々として、そうしてあそこへ集まってからに、大陽気に歌い出すものなんぞは一人もないのです。
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私が遊山に行つたをり聞かしたあの美しい声をお前はどうしたのだ。お前はこの立派な籠が気にいらないのか?
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そうすれば官奴たちも、彼を迎えるのが嫌だとは言えなくなるだろう。遊山に出かけた先でばったり出会った、などと説明するよりはずっといい。そのようなわけで、彌与は宮室には戻らず、邑にある幹の生家に使いの王を連れ込んだ。
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山には、めったなことで頭をさげなかった。山と戦をしているつもりではなかったけれど、遊山でないことだけは確かだった。その彼に、園子を加えての山歩きの話を持ちこんで来た宮村に腹を立てた。
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ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山場によく似ていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが住んでいそうな家を一けん一けん探して歩くことである。
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芝生の上はかなりの人出で、毛氈の上に重箱を開いて酒を飲んでいる連中が幾組もあった。大人の遊山の様がいかにも京都らしい印象を彼等に与えた。円山の方へ向って行く。
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男たちのいい分は、この風の下で荷役の可能な港はここしかなく、入江には岸壁はここ一本しかない。岸壁も艀も荷役のためにあるのであって、遊山の船は邪魔でしかない。船が岸壁に繋がれている限り、艀は小廻りが効かぬから安全の保障は出来ない、という。
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瓢箪の酒が盃につがれた。遊山と云ふ氣分を殆んど始めて充分に味ふ事が出來たのを悦んだ。目を放つと見渡す限りの平野は田圃で、田圃は悉く黄色な稻である。
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引退後は、かねてより用意していた滋賀県石山の別荘、活機園に住まう。大正5年には母親のために滋賀県で初めて自動車を購入し、遊山する。
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とモリエールは言っている。以上が、朝の五時に初まった遊山の午後四時半ごろの有り様であった。日は傾き、彼らの食欲も満たされた。
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当方、私は非常な勉励をもちまして取り調べを続行しております。私がここへ遊山に来ているなどと思し召さないで下さいまし。間もなく私は英国へ参ることと存じます。
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ところで、この辺の人々の無上の楽しみは何であるかといえば、女に戯れ肉を喰い、酒を飲むことであります。そのほかには物観遊山というようなこともない。また何か面白い話を聞きに行くというたところが、わずかにラーマ摩尼のお説教を聞きに行くくらいのことで、ソレとても毎晩あるわけのものではない。
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船が平気だと、支那から亜米利加の方を見物がてら今度旅行を為て来るのも面白いけれど。日本の内ぢや遊山に行いたところで知れたもの。
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一月中旬から二月末にかけては国鉄の閑散期である。スキー客を除けば、この厳寒期を選んで遊山旅行をしようとする人は少ない。私はテレビをあまり見ない人間だが、朝の七時三〇分にはスイッチを入れて10チャンネルに回すことが多い。
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どんな一寸した風変りな河原の石にも、箒川に注ぐ瀧にも、すべてに名所らしい名称があって、そこには一々立札が立っているというのは、何と五月蠅いことであろう。塩原温泉組合は、遊山人のために何一つ発見すべきものを残して置かない。山歩きをしているうちに、偶然見つけた素晴らしい木蔭、愛すべき小憩み岩、そんなものは先へ先へと何人かの足が廻って既に札を建ててしまう。
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ところでこの辺の人々の無上の楽しみはなんであるかといえば、女に戯れ肉を喰い酒を飲むことであります。その外には物観遊山というような事もない。また何か面白い話を聞きに行くというたところがわずかにラマ摩尼のお説教を聞きに行く位の事で、それとても毎晩ある訳のものではない。
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