近江坂本

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  • その後も父と共に京への復帰と近江坂本・朽木への脱出を繰り返した。
  • 主要なものとして越後府中・近江坂本・京都・天王寺が知られている。
  • それは近江坂本の光秀や、北近江の秀吉と同様であったに違いない。 池宮彰一郎『本能寺(下)』より引用
  • このため、義綱らは縁戚関係にあった六角氏の領地である近江坂本に亡命した。
  • 古くから近江坂本から洛中に攻め入る際の拠点とされた城で、曲輪や土塁の構えも大規模なものだった。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(下)』より引用
  • いま近江坂本にいるあの娘がこの事件をどう感じているか、光秀のいまの神経ではそれを臆測おくそくすることに堪えられなかった。 司馬遼太郎『国盗り物語』より引用
  • 五月十七日、光秀とその家臣たちはひそと安土を去り、主城近江坂本へ帰った。 池宮彰一郎『本能寺(下)』より引用
  • これから、京を抜けて近江坂本へ向かうのである。 井沢元彦『日本史の叛逆者 私説・本能寺の変』より引用
  • 主な鋳造所は幕府の江戸と近江坂本の銭座であった。
  • 近江坂本は、光秀のもともとの領地であり、最大の本拠地でもある。 井沢元彦『日本史の叛逆者 私説・本能寺の変』より引用
  • 近衛前嗣が近江坂本の長尾景虎の本陣を訪ねたのは、永禄二年六月十二日のことだった。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(下)』より引用
  • これに危機感を覚えたのか19日に足利軍は勝軍地蔵山城に自ら火を放ち、近江坂本へ逃亡してしまった。
  • そして翌永正17年2月、大内軍の不在が響いたのか敗戦して近江坂本まで退散させられた。
  • 家中での立場が危うくなった賢家は京から丹波へと戻ると近江坂本へと雲隠れしたが同年の12月29日に同地で死亡した。
  • さきの光秀の近江坂本や、秀吉の近江長浜も同じであった。 池宮彰一郎『本能寺(下)』より引用
  • 同月二十八日にも、光秀は、近江坂本の居城で朝会を催している。 桑田忠親『明智光秀』より引用
  • 戦後晴元と政勝らは摂津から逃亡し六角軍も撤退、晴元は義晴・義輝父子らを連れて近江坂本に逃れた。
  • その後、六角氏と縁戚関係があったために六角氏の領国である近江坂本に逃げ延び、永禄11年に義綱と共に能登復帰を目指して挙兵したが失敗した。
  • すると10代将軍・足利義稙も澄元に通じため、細川高国は単独で近江坂本に逃れ、三好之長は京都を奪還した。
  • そして、近江坂本に在った父義晴に、はじめて、対面させられたが、それは、夜八郎の心を傷つける効果しかなかった。 柴田錬三郎『われら九人の戦鬼 (上)』より引用
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