軍に奪回

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  • 二回敵軍に奪回せられ三度目に至りて初て占領するを得たりと云ふ。 巖谷大四『懐しき文士たち 昭和篇』より引用
  • 江西では8月18日に南昌が北洋政府軍に奪回され、李烈鈞は敗走した。
  • しかし病に臥せっていた黒太子は戦場に出て指揮を執ることができず、イングランド支配下にあった城、都市は次々とフランス軍に奪回されていった。
  • すでにパルパティーン皇帝はこの世になく、首都惑星コルサントは反乱同盟軍に奪回されて、帝国の中央政府は崩壊していた。
  • 二〇三高地はロシア軍に奪回された。 大江志乃夫『凩の時』より引用
  • 杉山吉良氏はさらに北の、アリューシャン列島のアッツ島までいっていたが、十八年五月に米軍に奪回されたときには、すでに彼は帰国していて無事だった。 小堺昭三『カメラマンたちの昭和史(4)』より引用
  • 同治元年に陳玉成が清軍に殺害されると、太平天国の国勢はますます衰え、天京付近の拠点は清軍に奪回された。
  • しかし嘉定城は清軍に奪回されて周立春は戦死したため、周立春の娘の周秀英とともに撤退し、上海に逃れた。
  • 日本軍はレイテ島から退却してきた部隊も含めて交戦したが兵力や武装に劣り、セブ市はアメリカ軍に奪回された。
  • 藤県が清軍に奪回されると、梁培友は陳開・李文茂の建てた大成国に加わって「平東王」に封じられた。
  • 美濃の内乱は応仁2年までに妙椿に鎮圧されたが、近江は決着が着かず一進一退、観音寺城が東軍に奪われては西軍に奪回されることが繰り返されていった。
  • その後リマは独立勢力の混乱の中で再びスペイン王党派軍に奪回されたが、最終的にシモン・ボリーバルとアントニオ・ホセ・デ・スクレがでペルー副王率いる王党派軍を壊滅に追いやったことにより、ペルーの独立は確定した。
  • 会談はつづき、アブドゥッラは、メッカをトルコ軍に奪回されないために、英国の援軍派遣をつよく要請する。 T・E・ロレンス/安引宏訳『砂漠の叛乱』より引用
  • 文明2年1月から4月にかけて山崎の是豊と勝竜寺城の義就が交戦したが決着は着かず、5月に東軍の裏工作で摂津に留まっていた政弘の家臣仁保弘有が寝返り、直後に茨木城と椋橋城が東軍に奪回され反撃の契機となった。