身重のまま
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皇子女たちの世話をしているうちに、皇后定子を失った一条天皇の心を捉え、やがて寵を受け懐妊した。同母兄の伊周・隆家らは皇子誕生を願って喜んだが、里に退出した彼女は身重のまま没した。美しく控えめな性格の女性であったといい、天皇は定子に続く彼女の死にいたく落胆した。
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大奥で重く用いられていた唐橋に、斉昭が登城の際、「何か少し六ケしい書類の調べごとがあると」協力を求めたことがあり、やがて二人は「段々親しくなつて余り親し過ぎたと申すことでありました」という。その後、祖父と父らが相談して、病気を理由に唐橋を大奥から下がらせ、身重のまま水戸城に移し、男子を出産したという。
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これを伝え聞いて悲しんだのが江州蒲生郡馬淵村の豆商人である。彼の地の記録によると、木村重成の妻青柳が身重のまま大坂から落ちのびて来てこの村に住みつき、やがて重成の子を生んで死んだとされ、村のおもだった家は重成の子孫伝説を持っていた。
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名のつけざまからして絵そら事じみた〝萩中納言〟なる雲上人が、讒に遭って尾張の国村雲の里に隠れ棲んだことがある。息女がすなわち我が母だが、若ざかりのころ宮中に仕え、やんごとなきお方のお手がついて身重のまま村雲の里にもどった。生まれたのが何をかくそうこの、わしであると言うのでは、いくら表現をぼかしたところで、 「天皇の子」 と明言したにひとしい。
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オイデンの兄にあたる長男、次男は牧師、長女はフランス語教師となった。最初の妻バネロッセは身重のままオイゲンとともに来日し、仙台で女児を死産、その5日後に亡くなった。
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